岩櫃城は斎藤氏が築いた戦国時代の山城です。斎藤氏は上杉氏に属し勢力を拡大しましたが、武田信玄の上州攻略より駆逐され、岩櫃城は真田氏により西上州攻略の拠点となりました。
岩櫃山の登山口である一本杉の駐車場から杉林の中を登って行くと中城跡、さらに暗い雑木林の中を登って行くと本丸跡にたどり着きます。
館跡の案内板のある付近が地炉ノ間か、NKHの大河ドラマ真田太平記で真田昌幸が忍びの者を束ねる壷谷又五郎と密談をする場面もこの地で繰り広げられた歴史の一こまなのでしょう。
1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。
1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。
1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。
慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。