仙巌園(磯庭園) 


 観光地の種類:史跡
 所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
 訪問日:2010年3月10日

 

磯御殿は万治元年(1658)、第9代島津光久が御仮屋を建てたのが始まりです。中国龍虎山の仙巌にちなんで「仙巌園」と名付けられ、桜島と錦江湾を借景に取り入れた雄大な大名庭園として知られてています。

幕末のころ第11代藩主島津斉彬は時代の西欧列強のアジア進出の危機感から、磯地区に富国強兵・殖産興業を目的に集成館事業を推進したと言います。

鶴嶺神社
アームストロング砲

観光バスなどが駐車する大きな駐車場から観光客の列に交じって磯御殿に向かいました。芝生の中には大砲を製造するために造られた反射炉とアームストロング砲の復元模型がありました。

朱塗りの錫門をくぐると磯御殿です。広く開けた回遊式の庭園にはソテツなども植えられ南国の雰囲気が感じられます。

反射炉跡
仙巌園の御殿
仙巌園の獅子乗大灯篭
仙巌園のから眺める桜島

庭園内の大きな獅子乗大灯篭の先に頭を雲に隠した桜島がそびえていました。

庭園の中にある建物は望嶽桜(ぼうがくろう)、琉球王から献上されたもので異国情緒に富む東屋風の建物です。

仙巌園の望嶽楼
仙巌園の池

御殿の先には千尋巌の大きな岩塔がそびえています。案内板によると岩塔の高さは11メートル、ここに足場を組んで千尋巌の文字を刻んだと言います。

仙巌園、御殿の先に千尋巌
大河ドラマ篤姫のロケ地

磯御殿はNHKの大河ドラマ篤姫のロケ地となった所です。篤姫が薩摩を出立するときのシーンはこの坂で撮られたと言います。

 島津光久(しまづみつひさ)

1616~1695年、江戸時代前期の大名。島津家久の子。寛永15年(1638年)薩摩藩主島津家2代となる。島津久通や禰寝清雄を起用し新田や金山開発、林業、紙すき、茶業などの振興をうながし藩政整備につとめた。

 

 島津斉彬(しまづなりあきら)

1809~1858年、江戸末期の薩摩藩主。1851年異母弟久光をおさえて藩主となり、殖産興業、洋式兵備の充実を図り、短期間に反射炉や軍艦を造り、紡績機械を積極的に輸入した。将軍継嗣問題では一橋派に属した。

 

 訪問者数 今月:10件
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