南州墓地 


 観光地の種類:史跡
 所在地:鹿児島県鹿児島市上竜尾町2?1
 訪問日:2010年3月10日

 

明治10(1877)年9月24日、城山で西郷隆盛が自刃して西南戦争は終結しました。南州公園は西郷隆盛をはじめ、桐野利秋、篠原国幹、村田新八など薩摩軍の将兵が眠る地です。

南州墓地
南州墓地

近くには西郷南洲顕彰館がありましたが改装のため休館、別館でミニ展示を行っていました。

南州墓地
城山を背にする西郷隆盛像

薩摩軍ゆかりの展示ということもあり、大隈重信など時の明治政府に対する反感は展示にも垣間見えます。

 西郷隆盛(さいごうたかもり)

1828~1877年、軍人、政治家。討幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争を遂行し明治維新の三傑の一人と称された。新政府の参議・陸軍大将となったが、明治6年(1873年)征韓論に関する政変で下野、帰郷。明治10年(1877)西南戦争に敗れ城山で自決。

 

 西南戦争(せいなんせんそう)・西南の役(せいなんのえき)

明治10年(1877年)西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の反乱。熊本鎮台を包囲したが政府軍に鎮圧され西郷らの指導者は多く自刃した。

 

 大隈重信(おおくましげのぶ)

1838~1922年、政治家。佐賀藩士。幕末、尊攘派として活躍。維新後、財政面で尽力。1888年(明治21)外相として条約改正にあたる。1898年、板垣退助とともに憲政党を結成し最初の政党内閣を組織。1914年(大正3)再び組閣、第一次大戦への参戦を決定。早稲田大学の創立者。

 

 西郷隆盛(さいごうたかもり)

1828~1877年、軍人、政治家。討幕の指導者として薩長同盟・戊辰戦争を遂行し明治維新の三傑の一人と称された。新政府の参議・陸軍大将となったが、明治6年(1873年)征韓論に関する政変で下野、帰郷。明治10年(1877)西南戦争に敗れ城山で自決。

 

 板垣退助(いたがきたいすけ)

1837~1919年、幕末から明治の政治家。討幕運動に参加。維新後参議となったが征韓論を主張し敗れて下野。民撰議院設立建白書を提出するなど自由民権運動を指導し、1881年(明治14)自由党を結成。第二次伊藤内閣・第一次大隈内閣の内相。

 

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