空也は醍醐天皇の子供で浄土宗を広く広めた僧として知られれています。ここは空也が修行したと伝えられるところで、滝の前にはたくさんの石像が祀られていました。
修験道の霊場であったのか、滝の前に立つ石像は修験道にまつわるもののようです。
903~972年、平安中期の僧。諸国を巡歴して南無阿弥陀仏の名号を唱え、教化に努めながら道・橋・寺などを造り、市の聖(いちのひじり)・阿弥陀聖(あみだひじり)と呼ばれた。京都に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立。
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗、浄土真宗、時宗などの浄土教宗派が成立した。
阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。
第50代天皇(在位:781年4月3日~806年3月17日)光仁天皇の皇子。794年、都を平安京に遷した。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど朝廷権力を大きく伸長した。陵墓は山城国紀伊郡柏原にあり柏原天皇とも呼ばれる。陵墓は京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎の柏原陵。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。