豊後守護であった大友氏の詰城として高崎山山頂に築かれた山城です。南北朝時代には九州における北朝方の拠点として、南朝方の菊池氏との戦いの舞台となったところです。
高崎山への登山道は銭瓶峠から狭い山道を入った所にあります。枯れ葉の積もる山道はあまり人も入っていないようで荒れています。
途中には高崎山城の案内板、竪掘り跡の案内板もありましたが木に覆われ見分けは付きません。
山頂も枯れ葉の積もる広い台地で、土塁や井戸の跡などが残っているようです。ここは野生のサルの生息地、木影の先から数匹の群れがこちらを眺めていました。
高崎山の山頂と記された標柱の脇には三角点がありました。
山麓には府中からの道標が建っています。高崎山の山麓は古い街道が通るところのようです。