高崎山城(高崎城) 


 城郭の構造:山城
 築城の時期:平安時代末期に安倍宗任が築城
 廃城の時期:文禄2年(1593年)
 主な城主:大友氏
 所在地:大分県大分市神埼
 訪問日:2009年12月22日

 

豊後守護であった大友氏の詰城として高崎山山頂に築かれた山城です。南北朝時代には九州における北朝方の拠点として、南朝方の菊池氏との戦いの舞台となったところです。

高崎城の案内板
竪掘り跡

高崎山への登山道は銭瓶峠から狭い山道を入った所にあります。枯れ葉の積もる山道はあまり人も入っていないようで荒れています。

途中には高崎山城の案内板、竪掘り跡の案内板もありましたが木に覆われ見分けは付きません。

山頂には土塁の跡
大友著景の墓碑

山頂も枯れ葉の積もる広い台地で、土塁や井戸の跡などが残っているようです。ここは野生のサルの生息地、木影の先から数匹の群れがこちらを眺めていました。

サルが遠巻きに見ています
井戸の跡か

高崎山の山頂と記された標柱の脇には三角点がありました。

高崎山の山頂には三角点
山麓には府中からの道標

山麓には府中からの道標が建っています。高崎山の山麓は古い街道が通るところのようです。

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