奈良時代、聖武天皇が国力を尽くして建立した大仏で、日本全国に建立した国分寺の中心をなす総国分寺です。
大仏殿は2度の兵火で焼失し、現存する大仏殿は元禄時代の再建です。たくさんの鹿が餌を食む奈良公園から参道を行くと大華厳寺の扁額がかかる南大門です。
ここの仁王像は運慶、快慶より造られたものと言われ、右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)が安置されています。
ハトなどの糞から守るためか全体が金網で覆われていました。
参道に脇に水をたたえるのは鏡池、静かな湖面には白壁を巡らせた回廊と大仏殿が影を映しています。
中門をくぐると大仏殿が目の前に飛び込んできます。
大仏殿の正面に立つ灯篭は国宝に指定されている金銅八角灯篭です。
大きな大仏殿には正面に大仏、盧舎那仏像呼ばれる大仏は高さ14.7メートル。幾度かの修復が行われ、頭部は江戸時代、体部分は鎌倉時代に修復されていると言います。
大仏の左右には如意輪観音と虚空蔵菩薩が安置されています。さらにその両脇には広目天と多聞天が安置されています。広目天は西方を護る守護神として、多聞天は夜叉衆を眷属とし北天を守護すると言います。
大仏殿からは二月堂、三月堂に向かいます。
二月堂は旧暦2月にお水取り(修二会)が行われる所です。回廊を大たいまつが走る光景はポスターなどでもお馴染みです。
二月堂にはたくさんの釣り灯篭がありました。
法華堂とも呼ばれるお堂は三月堂です。ここにはたくさんの仏像が安置されていると言います。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
仏法守護の神。四天王、十二天の一神。如来の道場を守り法を聞くことが最も多いことからの名。北方を守る仏法守護の神将。甲冑をつけ両足に悪鬼を踏まえ手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表される。
第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。
第42代天皇(在位:697年8月1日~707年6月15日)天武天皇・持統天皇の孫。草壁皇子の第一皇子。大宝律令を制定。万葉集、懐風藻に入集した。陵墓は奈良県高市郡明日香村栗原の檜隈安古岡上陵。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。