古代の交通の要衝であった山の辺の道の中間に位置する神社。伊勢神宮とともに日本書記に現れる神社で、日本最古の神社の一つとして知られています。
また飛鳥時代の豪族物部氏の総氏神と言われています。
天理市は天理教の教会や施設が多いところです。天理教の大きな建物の先から舗装道路を進むと石上神宮の神門にがそびえていました。
境内には大きな拝殿があります。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
古代の氏族。姓は連(むらじ)。物部の伴造(とものみやつこ)として軍事・刑罰を担当、4~5世紀以後大伴氏とともに大連を世襲して勢力をふるった。仏教受容に反対して蘇我氏と対立、守屋(もりや)が敗れて以後衰退する。
日本神話に登場する神様。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生した神です。国譲りでは経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣されます。また神武東征においても、天皇の危難を救ったとされる神です。島神宮祭神です。
古代の豪族。武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖とするというが未詳。大和朝廷の重臣として仏教など大陸文化の導入に貢献したが、大化元年(645年)蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)父子は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに滅ぼされた宗家は滅亡した。