東尋坊 


 観光地の種類:名勝
 所在地:福井県坂井市三国町東尋坊
 訪問日:2007年5月14日

 

安山岩の柱状節理に日本海の荒波が砕ける東尋坊の海岸は越前加賀海岸国定公園に選ばれた観光地です。

観光客で賑わう遊歩道を下って行くと日本海の荒波が砕け散る断崖。ヤセの断崖などに比べあまり高さはないものの、垂直に切れ落ちた岩場の下には白い波が砕け散っています。

東尋坊
東尋坊
東尋坊
東尋坊

ここからは岬の先端に突き出した雄島へと遊歩道が続いています。断崖の上をたどる遊歩道は自殺する人も多いようで、「家族が待っている・・」など自殺を思いとどまらせる立札などもチラホラ。

波が砕け散る福良の海岸
海食洞と離れ岩の案内板
福良の浜の地層の案内
福良の浜の海岸洞窟

崖の上から眺める対岸の切り立った断崖には海岸洞窟が形成されているようで、案内板には海岸洞窟の成り立ちやその崩壊した形跡などが紹介されていました。

遊歩道の道端に咲くアザミはノアザミの仲間でしょうが少し大型のアザミです。またこの海岸はウミウの営巣地のようですがあまり数は多くないようです。

雄島の岩壁
神社の鳥居があります

たどり着いた安島の集落の先に雄島があります。コンクリートの雄島橋を渡ります。島は柱状節理の急な岩壁をめぐらせ目の前だけが狭い石浜になっています。急な石段を登り左に折れると、うす暗い木立の中に古い神社が祀られていました。

急な石段を登っていきます
雄島の古い社

社脇の案内板を見ると織田信長の戦火にあい社殿が焼失・・などかなり古い歴史を持つ社のようです。狭い島内も一周すると30分近くかかるとか。そろそろ日も傾きかけてくる時間です。車を停めた駐車場に戻ることにしました。

夕焼けに染まる日本海
夕焼けに染まる日本海

 柱状節理(ちゅうじょうせつり)

岩石中に発達した、五角形ないし六角形の柱状の割れ目。玄武岩安山岩に形成される。兵庫県豊岡市の玄武洞や福井県九頭竜川河口の東尋坊は、その奇勝地として名高い。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 玄武岩(げんぶがん)

火山岩の一種。暗灰色または黒色の緻密な岩石で、斑晶は斜長石・橄欖(かんらん)石・輝石など。柱状節理をもつものが多い。最も多量に存在する火山岩。名は兵庫県の玄武洞に由来する。

 

 安山岩(あんざんがん)

火山岩の一種。斜長石・輝石・角閃石などの鉱物からなり黒雲母を含むこともある。灰色ないし暗色。硬くて耐火力が強い。建築用石材や墓石に使う。根府川石・鉄平石などが有名。

 

 武田勝頼(たけだかつより)

1546~1582年、戦国時代の武将。武田信玄の子。信玄没後家督を継ぎ美濃・遠江・三河に進出したが、長篠の戦いに大敗。以後衰運をたどり織田・徳川軍に追い詰められ天目山麓で自刃、武田氏は滅亡した。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

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