下北半島の中央に位置する宇曽利湖は剣山の噴火により造られたカルデラ湖です。鶏頭山、地蔵山、剣山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、釜臥山の八つの峰が外輪山として宇曽利湖をとりまき、湖畔には恐山があります。
恐山は慈覚大師円仁を開山とする古くからの霊場で、白山、立山と並び日本三大霊場の一つと言われています。
恐山に向かう県道4号線は参道として古くからたくさんの人が歩いた道のようで、道端には赤い着物を着た観音象が祀られています。この世とあの世を分ける三途の川という赤い太鼓橋の脇を進むと広い駐車場です。すでに4時を過ぎていましたが観光バスなども停まっていました。
大きな山門をくぐると硫黄の匂いが鼻を衝きます。広い参道を進むとガイドブックにも紹介されている古滝の湯や冷抜の湯がありました。参拝者は無料で入浴できると言いますが、誰も入っていないお風呂は入りにくものです。
地蔵堂に参拝した後、硫黄の匂いが鼻を付く地獄めぐりです。黒く変色した岩には無間地獄など地獄にちなんだ名前が付けられています。八角堂の奥には血ノ池地獄と名付けられた小さな池、その奥は賽ノ河原など、付近はまさにここは地獄の世界です。
やがて宇曽利湖の湖畔に出ると白い砂浜です。ここは極楽の世界とか。青い水をたたえる湖の先には外輪山の八峰が並んでいるようですが今日は低い雲の中にその姿を隠していました。
恐山を有名にしたのはいたこ。死者を呼び寄せると言う「いたこ」の口寄せは今も残っているようですが閑散とした境内にはそれらしい店もありませんでした。
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。
平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。
はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。