東海道・箱根湯本から箱根町港 


 歩行時間:行動時間 5:20、歩行時間4:55
 歩行距離:13.5km
 累積標高差:+860m、-230m
 往路:小田急・湯本駅、復路:箱根登山バス・箱根ホテル前
 訪問日:2023年5月25日

 

 コースタイム


箱根湯本駅10:50~白山神社~早雲寺11:20~正眼寺~福寿院11:55~天聖院12:20~駒形神社・鎖雲寺~三枚橋発電所早川取水ダム~畑宿・守源寺13:35~旧街道西海子坂13:30/40~旧街道橿木坂~酒茶屋14:40/55~お玉ヶ池分岐15:05~興福寺15:35~賽ノ河原~箱根関跡16:00~箱根ホテルバス停16:10

 

 東海道街歩き・箱根湯本から箱根町港


東海道の街道歩き、今回は箱根湯本駅から歩き始めます。たどり着いた箱根湯本の駅前は平日にもかかわらずたくさんの観光客で賑わっていました。

あじさい橋で早川を渡り旧東海道へ、箱根新道に沿うようにして登っていく道は県道732号線湯本元箱根線として整備された道です。狭い湯本の道沿いには温泉旅館が建っています。

しばらく歩くと白山神社、石段を登った拝殿には近くの幼稚園の子供がいました。この神社は白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神を勧請した神社と言います。暗い境内の奥にある大岩はご祭神の菊理媛が降臨したところと伝えられています。

神社の祢宜さんでしょうか、最近はネットなどのおかげでこのような神社にも多くの人がお参りに来ると話していました。

たくさんの人で賑わう箱根湯本駅
あじさい橋を渡ると旧街道の案内板
白山神社の拝殿
菊理媛が降臨したという大岩

白山神社の向かいには早雲寺があります。境内の奥に北条五代の墓があるお寺です。本堂の拝観は行われていないためか観光客も少なくひっそりとしていました。

早雲寺の山門
境内の奥に北条五代の墓
旧東海道沿いの温泉街
大きな地蔵菩薩が祀られる正眼寺

しばらく旧街道沿いの道を登ると福寿院です。曹洞宗のお寺ですが台湾に清水岩寺という姉妹寺があると言います。本尊の傍にはきらびやかな「光明消災燈」が奉納されていました。

さらに旧街道を登っていくと右手に湯場滝のホテル南風荘が見えます。須雲川の対岸にもネットなどでも紹介されているホテルがあるようです。

猿沢の石畳
福寿院(箱根観音)
須雲川の先に湯場滝の温泉街
天聖院の山門

やがて右手には浄土金剛宗天聖院のきらびやかな山門が現れます。箱根には天聖院のほか、天聖稲荷大権現神社、大天狗山神社があります。

山伏であった教祖が長年の難行苦行の末、加波山で修業を仕上げ昭和55年に大天狗山神社を創建したものとか、幼神供養や先祖供養を行っている神仏習合の新興宗教の一つのようです。境内は撮影禁止になっていました。

天聖院の絢爛な境内
須雲川インター
石段の上に駒形神社
鎖雲寺

須雲川インターを超えると須雲川自然探勝路です。緑色に包まれた遊歩道はやがて早川取水ダム近くの木橋で須雲川を渡ります。ここで出会った人も東海道の街道歩きをしているようで、「箱根湯本近くに車を停め登ってきた、箱根から先は宿に泊まりながら歩こう・・・」と話をしていました。

鎖雲寺の初花堂
須雲川自然探勝歩道の案内板
須雲川に沿って続く遊歩道
早川取水ダムにかかる木橋

大きな箱根天聖大権現神社の鳥居の先は割石坂、ここも江戸時代の石畳の道が残るところです。道端の案内板にはかつて営まれていた接待茶屋の案内板がありました。

箱根天聖大権現神社の鳥居
割石坂からは石畳の道
接待茶屋の案内板
須雲川自然探勝歩道の案内板

県道を渡ると再び旧街道の石畳の道です。案内板によると石畳は江戸時代の初期に設置されたもので石畳の構造や排水溝、並木などが紹介されていました。

石畳の構造の案内板
大澤坂の案内板
畑宿の舗装道路
畑宿本陣跡

しばらく登ると畑宿です。参勤交代の大名が休憩した本陣跡があるところです。畑宿の外れには一里塚がありました。ここは日本橋から23里の一里塚、箱根には湯本茶屋、畑宿、元箱根に一里塚があったと言います。

石段の先に駒形神社
駒形神社の拝殿
畑宿から甘酒茶屋まで60分
石段の上に守源寺

畑宿から甘茶茶屋までは七曲りを超え60分の道程と言います。七曲りは旧街道と県道と箱根新道が交差しているところです。

箱根新道を跨道橋で超えると西海子坂、舗装道路をショートカットするように急な階段の道が続いています。この道はサイクリングで登ってくる人も多いところ、かなりの急な登りに車を降りて登ってくる人もいます。

守源寺の本堂
畑宿の一里塚
箱根新道を超える跨道橋
急な橿木坂

急な坂道には橿木坂(かしのきざか)の案内板、「橿の木の さかをこゆればくるしくて どんぐりほおどの 涙こぼれる」と往時の人の歌が紹介されていました。

見晴台へと続く道を右に分けると県道に沿って登っていく緩やかな道です。ひと登りした県道を横断する付近が猿滑坂、かつては難所の一つであったところと言います。

緩やかに続く旧街道
猿滑坂は最後の急坂とか
須雲川自然歩道の案内板
追込坂の案内板

二子山の山裾を巻くようにして上っていく道は追込坂、さらに進むと親鸞聖人の笈の平です。親鸞聖人は浄土真宗の宗祖、鎌倉時代の承元の法難では延暦寺から専修念仏を非難され法然上人は土佐、親鸞聖人は越後に流罪となりました。7年後に赦免された親鸞聖人は越後、常陸に移り20年の年月を過ごしました。東国教化から京への帰り路、東国の門徒を導くために、この地で弟子の性信房と蓮位房と悲しみながら別れたと伝えられるところです。

親鸞上人と笈ノ平の石碑
甘酒茶屋の案内板
ハイカーや観光客で賑わう甘酒茶屋
黒ゴマ黄粉の力餅

遊歩道のような道を進むと甘酒茶屋です。近くの屏風山に登ってきたハイカーのほか観光客で賑わっています。メニューには名物の甘酒のほか力餅があります。特製という黒ゴマ黄な粉の力餅をいただきましたが結構美味しかったです。

甘酒茶屋からしばらく歩くと県道を離れ再び石畳の道へ、芦ノ湖から石畳を歩いてきたのかハイキングを楽しむ海外のお客さんが目に付きます。新型コロナ明けからツアーバスなどによる観光スタイルに変わり、田舎の暮らしや古い歴史を見つめなおす観光が多くなったようです。

舗装道路を離れ旧街道の道
天ヶ石坂
石畳の道が続きます
梢の先に二子山

しばらく歩くと梢の先に二子山を眺めるところです。この付近が箱根宿に向かう旧街道の最高点になるようです。上二子山、下二子山は箱根山中央火口の溶岩ドームの一つで5千万年前に噴火したとされています。この時の火砕流は須雲川を流れ下ったとされ正眼寺近くの信濃邸には1万8千年前に発生した二子山の火砕流により炭化した樹木の跡が残っていると言います。

二子山はハコネコメツツジやサンショウバラ、コイワカガミなどの咲くところ、現在は自然保護のため入山が禁止されていると言います。

お玉ヶ池への道を右に分けると権太坂、急な石畳の坂道は滑りやすくかなり気になるところでした。

お玉ヶ池への分岐
権現坂の石畳を下り
箱根旧街道の案内板
興福寺の山門

やがて木立の先に芦ノ湖が見え隠れするようになると湖畔の商店街も目の前です。

興福寺の本堂
境内に藤の花
芦ノ湖湖畔に賽ノ河原
たくさんの石仏が祀られています

湖畔にはたくさんの石仏が祀られた賽ノ河原があります。現地の案内板によるとこの地は地蔵信仰の霊地で、東海道を旅する人の信仰を集めたところです。明治時代の仏教排斥によりたくさんの石仏が失われたと言います。

たくさんの観光客で賑わう箱根関を超えると観光船が出航する箱根港、箱根マラソンのゴールはすぐ先にありました。

芦ノ湖に箱根神社の鳥居
観光客で賑わう箱根関
たどり着いた箱根ホテル前のバス停

かつて東海道を歩く旅人は1日に10里、しかし険阻な箱根の山越えでは8里しか歩けなかったとか。箱根宿が設けられたのは元和4年(1618年)、参勤交代の大名からの要請で小田原宿、三島宿からそれぞれ50軒を移転させ箱根宿が開かれました。

Yamapなどの山行記では箱根八里の山越えを一日で歩いた記録もあるようですが今日は箱根港まで、この先は箱根峠を超え三島宿までの街道歩きです。

 

 コース GPSmap


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 その他のコース・山行記録


 

 親鸞(しんらん)・見真大師

鎌倉時代の僧。浄土真宗の開山。曇鸞の他力回向によって発得して以来、親鸞と名のり愚禿(ぐとく)と称した。1207年念仏停止の法難に遭い越後に流罪。赦免ののち長く関東に住み布教と著述を行う。

 

 法然(ほうねん)・円光大師・黒谷上人

鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。1147年比叡山で源光の門に入り天台を学んだ。1150年教学などに対する疑問を生じ西塔黒谷の叡空のもとに隠棲し、法然房源空と称した。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

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