東海道・子安から戸塚 


 歩行時間:行動時間 6:05、歩行時間5:25
 歩行距離:18.7km
 累積標高差:+210m、-202m
 往路:京急・子安駅、復路:神奈中バス・戸塚駅
 訪問日:2023年4月20日

 

 コースタイム


子安駅10:00~良泉寺10:20~笠のぎ稲荷神社~宗興寺~洲崎神社10:50~普門寺~甚行寺~青木橋~大綱金刀比羅神社11:00~神奈川宿・田中屋~神奈川台の石門跡~勧行寺~浅間神社11:40~浅間寺~洪福寺商店街12:00~橘樹神社12:20~旧帷子橋跡~普賢山香象院~見光寺~遍照寺~大仙寺~上方見附址13:10~外川神社~樹源寺~権太坂~境木地蔵14:00~品濃一里塚~福寿観音~品濃坂上~不動坂15:40~寶蔵院~木之間稲荷~戸塚駅16:05

 

 東海道街歩き・子安から戸塚


東海道の街道歩き、今回は京急の子安駅から歩き始めます。子安は京急やJR湘南ラインの便が良いところで第一京浜沿いには中高層のマンションなどが立ち並んでいます。

ここからは交通量の多い街歩きです。しばらく歩くと神奈川新町駅、ここは神奈川宿歴史の道歩きで歩いたところです。

神奈川宿は東海道の3番目の宿場町、神奈川湊に近く海と陸をつなぐ要所として発達したところです。また安政元年に結ばれた日米和親条約で開港の地として定められ諸外国の領事館跡など往時の歴史の跡が残っているところです。

子安駅
良泉寺の本堂
笠のぎ稲荷神社の鳥居
宗興禅師

往時の町並みを紹介する案内板を眺めながら道を進むと宮前の商店街です。狭い街並みは旧東海道が通ていたところと言います。

宮前商店街の入り口
洲崎神社の石鳥居
普門寺の石柱
甚行寺の本堂

商店街の中には源頼朝が安房から勧請した洲崎神社、横浜の開港当時にはフランス大使館が置かれていたという甚行寺などがあります。

青木橋で東海道線を越えます。明治3年に新橋から横浜間に鉄道が建設されたとき架けられた橋で八山橋とともに日本最初の跨線橋です。

横浜旧東海道のマンホール
東海道線を越える青木橋
金刀比羅神社の案内板
金刀比羅神社の本堂

旧東海道は程なく大綱金刀比羅神社です。明治44年(1911年)高島台の山上にあった大綱神社を合祀したもので「横浜のこんぴらさん」として近郷の崇敬を集める神社です。

急な石段の先に金刀比羅神社の社、コイが泳ぐ池の中には岩窟がありました。

狭い道は緩やかに登っていきます。ここは神奈川港を見下ろす景勝の地であったようでNHKのブラタモリにも登場していました。案内板によると田中屋は安藤広重の東海道五十三次にも描かれたところで、高杉晋作やハリスも訪れていたと言います。

坂本龍馬の妻、「おりょう」が働いていたところ、勝海舟の紹介で明治7年から働いていたということで竜馬が暗殺されたのち神奈川にやってきたのでしょう。

神奈川宿の旅館・田中屋
斬新なデザインの勧行寺
浅間神社の石段
浅間神社の拝殿

神奈川宿を過ぎると道は西横浜へ、新しく建てられた勧行寺を超えしばらく歩くと高台の上に浅間神社がありました。

さらに歩くと洪福寺の交差点です。近くには「浜のアメ横」とも呼ばれる洪福寺商店街、お昼時ということでたくさんお買い物客でにぎわっていました。

民家と間違いそうな浅間寺
洪福寺の交差点
たくさんお人で賑わう洪福寺商店街
橘樹神社の石鳥居

橘樹神社は京都の祇園社(現在は八坂神社)の分霊を勧請したものです。帷子町や岩間町の鎮守として崇敬を集め、牛頭天王社と呼ばれていました。明治の神仏分離令では主祭神を素戔嗚尊に改め、明治22年(1889年)橘樹郡保土ケ谷町、岩間町、帷子町などを合併し保土ケ谷町になると橘樹神社に名を改めたと言います。

帷子川を渡った天王寺駅前の広場には旧帷子橋跡があります。ここは広重の東海道五十三次にも登場する橋と言います。

山門に大きな釜があるお寺は普賢山香象院、かつて本堂前に置かれていた天水鉢と言いますが蓋もあることから大きな釜のようです。

橘樹神社の拝殿
天王寺駅前に旧帷子橋跡
普賢山香象院
見光寺の山門

見光寺遍照寺を超えると大仙寺があります。東海道線の踏切を渡った寺で參覲交代などで保土ヶ谷宿に休泊する者は大仙寺に詣で、道中安全を祈願したと言います。

遍照寺
大仙寺の石段
大仙寺の本堂
保土ヶ谷宿の旅籠、本金子屋跡

街道沿いには保土ヶ谷宿の旅籠、本金子屋跡があります。現地の案内板によると現在の建物は明治2年に建て替えられたもの、敷地内には日本庭園もあると言います。

鯉のぼりがはためく橋には一里塚と上方見附、橋を渡ると外川神社です。出羽三山講の先達が羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請した神社です。近くには湯殿山の供養塔もありました。

一里塚と上方見附
外川神社
大仙寺の山門
大仙寺の本堂

旧東海道は国道1号線を離れ権太坂へと登っていきます。東海道を西へと向かい旅人にとって初めての長い登り坂で浮世絵にも描かれる保土ヶ谷宿の名所です。

新春の箱根マラソンでは国道1号線を通りますが、鶴見中継所でタスキを受け取った2区のランナーにとって最大の難所と言います。

権太坂を登りきると境木地蔵です。武蔵と相模の国境にある地蔵堂で江戸時代は茶屋が多く大変賑わったと言います。茶屋では焼餅が名物で戸塚方面の坂は焼餅坂と呼ばれていました。

権太坂の案内板
境木地蔵堂
境木の道標
品濃一里塚

品濃の一里塚を超えると東戸塚です。新らしい高層マンションが立ち並び都心への通勤者が多い街です。東戸塚駅東口のオーロラシティへの人道橋の傍には新しく祀られた福寿観音の祠がありました。

東戸塚の福寿観音
1号線と交わる海道橋
不動坂は歩道橋工事の最中
旧道沿いに寶蔵寺

品濃坂上から下っていく道はやがて国道1号線へ、車の流れが多い道はやがて不動坂です。瀬谷、戸塚駅へと別れる道が交差する5差路は何時も渋滞で悩まされるところです。またこの近くには五處橋供養塔があり、大山へと続く柏尾堂が分かれているところです。

戸塚のマンホール
吉田橋に木之間稲荷
吉田橋の欄干に東海道五十三次
戸塚駅のバスターミナル

吉田大橋近くには木之間稲荷があります。地元の稲荷神社で柏尾川の拡幅により現在の地に遷座したと言います。

戸塚駅のバスターミナルはたくさんの人で賑わっています。子安駅からは19km弱、境木にあった大きな道標には戸塚まで1里9丁と書かれていましたが東戸塚から戸塚までは思いのほか長かったように感じた街歩きでした。

 

 コース GPSmap


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