四津山城(高見城) 


 城郭の構造:山城
 築城の時期:-、石井政綱
 廃城の時期:-
 主な城主:石井氏、増田氏
 所在地:埼玉県比企郡小川町高見1125
 訪問日:2023年4月10日

 

比企丘陵最北部の丘陵部・四津山に築かれた山城です。現地の案内板によると市野川筋には鎌倉街道上道が走り、戦国時代には鉢形城、松山城の間にあって交通路を抑える重要な役割を果たしたと言います。

城郭は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社が建つ本郭と北に連なる三つの主要な郭によって構成され、それぞれを土塁と堀切によって画されています。

石段脇に犬走
本郭に四津山神社
四津山城の案内板
四津山城からの展望
本丸の土塁
堀切跡
二の郭跡
堀切跡
三の郭跡

長享2年(1488年)に山内・扇谷の対立により激戦が繰り広げられた高見原合戦は、この麓の高見・今市付近で行われました。

天正10年(1590年)豊臣秀吉による関東平定の際に鉢形城主北条氏邦の家人が籠もったものの、戦わずして鉢形城へ逃げたと言います。

 

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