新田神社 


 寺社の種類:旧県社
 創建の時期:明治8年(1875年)
 御祭神:新田義貞
 本殿の形式:-
 所在地:群馬県太田市金山町40-44
 訪問日:2023年4月3日

 

新田神社は新田金山城の実城跡に建てられた神社です。新田義貞の裔孫である新田俊純は地方有志と謀り、明治6年(1873年)に神社創立の許可を得て、明治8年(1875年)には社殿を建築し神社を創建しました。

樹齢800年以上の大ケヤキが立つ境内からは関東平野が一望できます。

金山神社参道の大ケヤキ
金山大ケヤキの案内板
階段を登ると金山神社の鳥居
新田神社の趣意書
新田神社の拝殿
新田神社の拝殿
神殿に一つ引き両の新井田の家紋
社務所に太平記のポスター
新田神社の案内板

初志貫徹の神社として多くの人に参拝されていると言います。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 楠木正成(くすのきまさしげ)

1294~1336年、南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331年、後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵、建武政権樹立に貢献し、河内和泉の守護となった。1336年足利尊氏を兵庫湊川に迎え討つが敗れ、弟正季と刺しちがえて死んだ。

 

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