金色山大悲願寺 


 寺社の種類:真言宗豊山派の寺院
 創建の時期:建久2年(1191年)、平山季重が創建、京都醍醐寺の澄秀を開山と伝えられる
 本尊:大日如来
 札所:多摩八十八ヶ所霊場59番、武蔵五日市七福神の大黒天、東国花の寺百ヶ寺
 所在地:東京都あきる野市横沢134
 訪問日:2023年1月18日

 

平山季重が建久2年(1191年)に創建したと言います。そののち四世澄遍が延文5年(1360年)に再興、関東管領足利基氏・氏満父子から寺領20石を寄進を受け、徳川家康が関東入国した天正19年(1591年)にも20石の御朱印状を受領、近隣に末寺32ヶ寺を擁していました。

大悲願寺の仁王門
山門脇に六地蔵
金色山の扁額と天井絵
振り返る仁王門
仁王門と観音堂の案内板
鐘楼
極彩色の観音堂
精緻な彫刻が施された観音堂
無畏閣の扁額
観音堂
境内の堂宇
境内に石仏
境内の池
四国88か所の石仏

大悲願寺の本堂、伊達政宗白萩文書などの文書は東京都の指定文化財、仁王門、天井絵、観音堂などはあきる野市の指定文化財になっています。

本堂の前に弘法大師像
大悲願寺の扁額を掲げる本堂
本堂の案内板
伊達政宗の白萩文書の案内板
境内に十三重塔
白萩と臥龍梅の案内板
鏡開きのお餅
七福神の納経所
七福神の大黒天
境内に庚申塚
境内に庚申塚

武蔵五日市の七福神は大黒天、日本では大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合し、福徳の神として民間の信仰を集めています。

 

関連記録・コース

 真言宗豊山派(しんごんしゅうふざんは)

真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)

真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。

 

 覚鑁(かくばん)・興教大師

平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。

 

 専誉(せんよ)

真言宗豊山派の祖。紀伊根来寺の玄誉(げんよ)、頼玄(らいげん)に師事。天正13年豊臣秀吉の根来攻めにあい高野山にのがれる。15年豊臣秀長にまねかれ大和長谷寺にはいりった。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

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