南町田グランベリーモール駅10:05~熊野神社10:20/25~町谷八坂神社10:30~金森天満宮11:00~杉山神社11:15/25~町田天満宮11:35/40~町田駅11:50/12:10~菅原神社13:05/15~玉川学園駅14:05
鎌倉古道上道歩きは南町田から、東急田園都市線のグランベリーモール駅からイルミネーションの階段を登るとたくさんの車が走る保土ヶ谷バイパスです。
緩やかに下ると道を右に、住宅地の中に熊野神社がありました。現地の案内板によると熊野三社神社を勧請したもので現在の社殿は昭和46年(1971年)に再建されたものと言います。
近くの幼稚園児の散歩でしょうか、20人ほどの子供が手を引かれながら境内を歩いていました。
熊野神社の先には境外末社の八坂神社があります。石段の上には簡素な社殿が祀られています。
境内には2基の庚申塚が祀られていました。三猿を従えた一面六臂の青面金剛、石面は風化していますが手には日月と弓、矢を持っているように見えます。
八坂神社からは住宅地の中をしばらく進んでいきます。緩やかに登ると金森天神山ふるさとの森です。石段の上には玉垣を巡らせた金森天満宮が祀られていました。
境内の案内板には天満宮の由来が書かれています。近郊の崇敬の方々が修複造営を行っていると書かれていました。
天満宮からしばらく進むと杉山神社です。杉山神社は鶴見川、帷子川、大岡川周辺に点在する神社で、神奈川県を中心に38社があると言います。
延喜式内社に都筑郡の一座として杉山神社の記載があるものの、大棚・中川 杉山神社、茅ケ崎杉山神社、西八朔杉山神社、新吉田杉山神社の4社がその論社とされています。赤城神社もそうですが長い年付きの中に神社の盛衰が包まれているようです。
境内にはたくさんの庚申塚や地神塔が祀られていました。金森文化遺産保存会の案内板には日待塔、光専神などあまりお馴染みでない石塔も紹介されていました。
さらに住宅地の中を進むと町田天満宮です。本町田菅原社、南大谷天神社とともに町田三天神と呼ばれています。天正年間(1573~1591年)この地を知行していた北条氏輝によって鎮座したものと言います。
境内には大物主命、素戔男尊、恵比寿神、聖徳太子を祀る境内社がありました。真っ赤な鳥居の先には出世稲荷も祀られていました。
参宮橋でJR横浜線を超えると町田の駅です。駅前の商店街はたくさんの食べ物やなどで賑わています。
時計はすでに12時、お馴染みのとんかつ屋さんに入りお昼にしました。若者のほか年配の人も何人か、一人暮らしで自炊するのは大変なのかお昼はとんかつ屋さんと言う人も多いのでしょう。
町田駅はJR横浜線と小田急線が交差するところ、小田急駅傍の踏切はまさに開かずの踏切です。小田急の急行、普通列車それにロマンスカー、事故でダイヤが乱れていたのかも知れませんが15分ほど遮断機は下りたままでした。
町田駅から鶴川街道を超えると鎌倉街道です。緩やかに坂道を下ると本町田菅原神社にたどり着きました。ここは町田三天神の一つです。
赤い鳥居をくぐり抜けて急な石段を登って行くと拝殿です。境内の案内板には寛永7年(1630年)大沢玄蕃によって天神像が奉納され、以来本町田の鎮守となったと書かれています。
またこの地は井出の沢の古戦場跡と言います。後醍醐天皇による建武の親政に不満が高まり、かつての鎌倉幕府執権、北条高時の子時行が、建武2年(1335)に反乱の兵を挙げました。これが中先代の乱です。信濃から鎌倉奪還を目指し南下した時行の兵は、井出の沢で足利尊氏の弟直義によって迎撃されたとされています。
菅原神社からは鶴川街道へ、鶴見川を越え小野路へと続く予定ですがかなりの暑さでバテ気味です。今回の鎌倉古道歩きはここが終点です。電車の便はあまり良くなさそうですが小田急の玉川学園駅から戻ることにしました。