藤沢市の村岡御霊神社に伝わる仁安2年(1167年)記の文書に当地の地名があり、分社したと記されています。
石鳥居から暗い参道を進むと小さな池の中に祠があります。池のほとりには村岡川源流、弁天の湧水と刻まれた石碑が建っていました。
かつてこの一帯は村岡郷、俣野郷と別れていたため、深谷から上流は村岡川と呼ばれていたようです。
また弁手池の水はが眼病に効くと言うことから眼病平癒の神様として信仰を集めるていると言います。
境内に置かれた庚申塚は大山道と柏尾道の分岐に建てられていたもので、「右とつか道、東かしを道、西大山道」と記されています。
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。