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あの頂を越えて

城址・寺社を訪ねて

~神社を訪ねて~

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~城址寺社を訪ねて:神社参拝~

 富岡八幡宮

 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:応神天皇
 本殿の形式:-
 所在地:神奈川県横浜市金沢区富岡東4丁目5-41
 訪問日:2022年1月30日

 

富岡八幡宮は、建久2年(1191年)源頼朝が、富岡郷鎮護のために難波蛭子尊を勧請して創建、安貞元年(1227年)祭神を八幡神に斎い替えたしたと言います。

表参道に鳥居
社叢の森の案内板
鬼門の祓
祇園舟の案内板
梵鐘の案内板
熊野三社などの摂社
境内の奥に拝殿
正八幡の神額
拝殿の内部
裏参道に小さな祠

境内には卯陪従(うべいじゅう)の案内板がありました。鎌倉時代より伝わる伝統神事で、2月、11月の初卯の日に夜神楽として 湯立神楽 を奉納すると言います。

 

関連記録・コース

 応神天皇(おうじんてんのう)譽田別尊(ほんだわけのみこと)八幡大神(やはたおおかみ)

第15代天皇(在位:270年1月1日~310年2月15日 )仲哀天皇の第4皇子、母は神功皇后。神功皇后が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから胎中天皇などと呼ばれています。

大和朝廷の勢力が飛躍的に発展した時期で一説に中国の歴史書に記述のある倭の五王の一人、讃とする説があります。

6世紀前半に在位したとされる第26代継体天皇以前の天皇については、第21代雄略天皇を別として実在の可能性が薄いという見解があります。

 

 神功皇后(じんぐうこうごう)氣長足姫尊・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。

三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。

この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。

 

 恵比寿天(えびすてん)、蛭子命

七福神の一神。唯一の日本の神様。伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)の第三子と言われ、満三歳になっても歩かなかったため船に乗せられ捨てられてしまった。やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが信仰のはじまりと伝えられている。

左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

TAG:横浜金沢七福神,八幡宮
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