秩父御嶽神社 


 寺社の種類:村社
 創建の時期:明治27年(1894年)
 本殿の様式:-
 所在地:埼玉県飯能市坂石550-2
 訪問日:2017年8月26日

 

木曽御嶽山の分霊をまつる神社です。福寿山の山頂の本殿までは直線で365段の石段、その間には多くの社など祀られています。

秩父御嶽神社の石柱と鳥居
参道脇に奉納された下駄
秩父御嶽神社の石柱
東郷公園・秩父御嶽神社の案内
参道の社務所
舗装された参道

広大な境内は東郷元帥の像や乃木大将の像が祀られた東郷公園で、日露戦争の遺物や記念品などが点在、戦艦三笠の被弾甲板なども飾られています。

石の階段が始まります
たくさんの石碑と清貫一誠霊神像
日露戦争の砲弾と施設水雷
鳥居の先に東郷元帥像
東郷元帥銅像
東郷元帥銅像の案内板
戦艦三笠、弾痕の甲板
奉納旗が続く急な階段
参道の脇に清龍不動堂
階段の上に乃木神社
石段の脇に小さな社
石段の上は祈祷殿
祈祷殿
祈祷殿の内部
秩父御嶽神社の神額
本社へと続く急な石段
子どもの成長・虫加持
大江大権現
阿留摩耶大権現
三笠大権現
三笠大権現の神額
秩父御嶽神社の拝殿
拝殿の内部
拝殿から眺める吾野

また、参道沿いにはモミジや楓が植えられ秋には飯能一の紅葉スポットとなるところです。

急な石段を下って行きます
福寿大黒天
東郷神社
東郷神社の内部
東郷元帥が休憩した至誠館
ロシアの山砲
乃木神社
乃木大将銅像

木曽御嶽信仰においては、御嶽大神、八海山大神、三笠山大神の三神が祀られることが多いと言います。現地の案内板によると主祭神は国狭槌尊八海山堤酢頭羅神王、国常立命御嶽山蔵王権現、豊斟淳尊三笠山刀利天となっていました。

明治の神仏分離令以降、御嶽山座王大権現は御嶽大神と呼称されるようになり、座王権現を国常立尊とし従来の大己貴命、少彦名命あわせた三柱が御嶽山座王権現と考えられるようになったようです。ネット上でも秩父御嶽神社の主神は國常立尊少彦名命大己貴命となっています。

関連記録・コース

 国常立命・国底立尊(くにとこたちのみこと)

日本書紀によれば天地開闢の最初に出現した神様。国狭槌(くにのさつち)尊、豊斟渟(とよくむぬ)尊とともに独化の三神と言われる神様です。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 清貫一誠霊神

信州木曾御嶽山の行者、鴨下清八 文久三年(1863年)から昭和三十一年(1956年)秩父御嶽神社を創設しました。

 

 東郷平八郎(とうごうへいはちろう)

1847~1934年、幕末から明治時代の海軍軍人。大将・元帥。日露戦争では連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮しバルチック艦隊を破った。ロンドン軍縮条約では締結に強硬に反対。

 

 乃木希典(のぎまれすけ)

1849~1912年、幕末から明治時代の陸軍軍人。大将。日清戦争に第一旅団長として従軍。日露戦争では第三軍司令官として旅順を攻略。のち学習院長。静子夫人とともに明治天皇の大葬の日に殉死。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 国常立命・国底立尊(くにとこたちのみこと)

日本書紀によれば天地開闢の最初に出現した神様。国狭槌(くにのさつち)尊、豊斟渟(とよくむぬ)尊とともに独化の三神と言われる神様です。

 

 少彦名命(すくなびこなのみこと)

古事記では神産巣日(かんむすひ)神の、日本書紀では高皇産霊(たかみむすひ)尊の子です。大国主神の国土経営に協力したが伯耆国淡島で粟茎(あわがら)に弾かれて常世(とこよ)国に行ったとされています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

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