万松山積翠寺 


 寺社の種類:臨済宗妙心寺派のお寺
 創建の時期:-
 本尊:釈迦如来
 所在地:山梨県甲府市上積翠寺町984
 訪問日:2016年4月15日

 

要害山城の南山麓に祀られた臨済宗妙心寺派のお寺で古くは石水寺と呼ばれていました。武田信玄が誕生した寺とも言われ境内には産湯井戸や産湯天神があります。

参道に石仏と石灯籠
参道に石仏と石灯籠
参道に石仏と石灯籠
石仏が刻まれた石灯籠
石仏が刻まれた石灯籠
武田信玄誕生の寺の石碑
甲府市指定の文化財
庫裏
萬松山の扁額を掲げる本堂
鐘楼
積翠寺の由緒書き
不動堂
不動堂の信玄像

また境内の不動堂には武田信玄の座像が安置されています。

関連記録・コース

 臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)

日本仏教の一宗派。臨済宗一四派の一つです。本山は京都の妙心寺、派祖は関山慧玄。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

TAG:要害山 2016.4.15
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