甲斐国一之宮浅間神社 


 寺社の種類:式内社(名神大)論社、甲斐国一宮、旧国幣中社、別表神社
 創建の時期:(伝)第11代垂仁天皇8年
 主祭神:木花開耶姫命
 本殿の様式:流造
 所在地:山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
 訪問日:2016年2月11日

 

河口湖浅間神社と一宮浅間神社とともに延喜式神名帳の甲斐国八代郡浅間神社の論社の一つとされた神社です。

浅間神社の神門
境内に舞殿と拝殿
三条実美の歌碑
子持ち石

国道20号線沿いの大鳥居からわずかに入ったところに国幣中社浅間神社の石柱と神門が建っています。境内には拝殿を中心に舞殿、社務所などが建っていました。

拝殿
拝殿
第一宮の神額
拝殿の脇に舞殿
拝殿の脇に社務所
境内に護国者

拝殿の裏手には十二支参りの新しい石像や富士石、成就石があります。

人形の門をくぐり十二支参り
十二支参り
富士石
成就石

甲斐武田氏の信仰も厚かったと言われ、境内には明治の元勲三条実朝により建立された武田信玄の歌碑があります。

関連記録・コース

 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)神阿多都比売命(かむあたつひめのみこと)、葦津姫命(かやつひめのみこと)

日本神話に登場する神様。古事記では瓊々杵命(ににぎのみこと)の妻となります。富士山の神とされ各地の浅間神社で祀られています。子育ての神、子安神としても篤く信仰されています。

 

 流造(ながれづくり)

神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。

正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。

 

 武田信玄(たけだしんげん)

1521~1573年、戦国時代の武将。名は晴信。父、信虎を追放して家督を継ぎ信濃に進出する。越後の上杉謙信と川中島で激戦を展開した。1572年、西上の途次三方ヶ原(みかたがはら)で徳川家康を破ったが翌年三河の陣中で病没。軍略家としてすぐれ信玄家法を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。

 

 邇邇芸命・瓊瓊杵尊・瓊々杵尊・彦火瓊瓊杵・火瓊瓊杵(にぎにぎのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。

 

 上杉謙信(うえすぎけんしん)長尾景虎(ながおかげとら)

1530~1578年、戦国時代の武将。越後守護代長尾為景の子。景虎、政虎、輝虎と改名する。越後春日山城にあって北陸地方一帯を領有、小田原北条氏、甲斐武田氏と対抗した。特に武田信玄との川中島の戦いは有名。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

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