外川神社 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:-
 主祭神:日本武尊
 社殿の様式:-
 所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区瀬戸ケ谷町
 訪問日:2015年5月28日

 

国道1号線沿いの保土ヶ谷仙人橋近くに外川神社が祀られています。幕末のころ出羽三山講の講元であった清宮輿一が出羽三山の霊場を参拝した際に羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し祀ったのが始まりです。

仙人橋
御手水場に由緒書き
参道に狛犬
外川神社

明治の神仏分離令で日本武尊を祭神とし外川神社と改めました。境内には道祖神社、稲荷社が並んでいます。道祖神神社の軒にはわらじが奉納され、旅人などが足の災いを免れると言われています。

道祖神神社
境内に石碑
稲荷社
稲荷社

 日本武尊・倭建命(やまとたけるのみこと)

日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 景行天皇(けいこうてんのう)、大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)

第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。

 

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)神仏混淆(しんぶつこんこう)

日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

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