鍋倉城(遠野城、横田城) 


 城郭の構造:山城
 築城の時期:天正年間初期
 廃城の時期:1872年
 主な城主:阿曽沼広郷が築城、南部直義が改修
 所在地:岩手県遠野市遠野町3
 訪問日:2015年4月30日

 

鎌倉時代初期より阿曽沼氏の本拠地であった横田城から移築したものです。阿曽沼氏は天生18年(1590年)の小田原征伐に参陣しなかったことから所領を没収され南部氏の配下になりました。

南部神社から階段を登り
石段を登ると本丸跡
大手門跡
本丸跡に案内板
場内八幡神社跡
搦手門跡

その後、南部利直は治安の悪化や仙台藩との藩境である重要性を考え、寛永4年(1627年)一族の八戸南部直義を遠野に入部させました。これ以降、遠野南部氏は明治まで遠野郷を支配することになりす。

搦手門の下には井戸跡
本丸館跡
本丸跡に建つ石碑
土塁の下は堀切
本丸館玄関跡
三の丸に案内板

鍋倉神社から階段を登って行くと本丸の広場です。鍋倉公園として整備された一帯には大手門跡や搦手門跡などを示す標柱があります。

庭園になっている三の丸
三の丸になべくら展望台
なべくら展望台から
展望台脇に招魂碑

庭園となっている三の丸跡には天守閣風のなべくら展望台が建っています。展望台からは遠野の街並み、その先には小さく早池峰山も見え隠れしていました。

 小田原征伐(おだわらせいばつ)・小田原攻め(おだわらぜめ)北条征伐(ほうじょうせいばつ)

1590年豊臣秀吉が天下統一のため小田原の北条氏(後北条氏)を滅ぼした戦い。秀吉は兵農分離による組織化された軍事力と強力な物量作戦を展開し、関東の北条氏の支城を次々と落とし本城小田原城を3ヵ月余にわたり攻囲・降伏させた。

 

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