南部神社(鍋倉神社) 


 寺社の種類:神社
 創建の時期:南北朝時代
 主祭神:南部実長命、南部実継命、南部長継命、南部師行命、南部政長命、南部信光命、南部信政命、南部政光命
 社殿の様式:-
 所在地:岩手県遠野市東舘町3-6
 訪問日:2015年4月30日

 

後醍醐天皇の南朝に忠節を尽くした遠野南部氏の藩主を祀る神社です。鍋倉城の麓にあったことから鍋倉神社とも呼ばれています。

南部神社の石柱
由緒書き
石段の上に社殿
狛犬
狛犬
拝殿
南部神社の神額
拝殿
一条稲荷大明神
境内の七福神

遠野市立博物館から細い車道を登って行くと社殿が建っていました。境内からは遠野の街並みが見えています。社殿の脇からは鍋島城址へと登って行く階段が続いていました。

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 後宇陀天皇(ごうだてんのう)

第91代天皇(在位:1274年1月26日~1287年10月21日)亀山天皇の第2皇子。大覚寺統。1287年伏見天皇に譲位したが、その後続けて持明院統の後伏見天皇が即位したため、幕府に働きかけて後二条天皇を即位させて院政を行った。陵墓は京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町の蓮華峯寺陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

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