普明山成就院 


 寺社の種類:真言宗大覚寺派の寺院
 創建の時期:承久元年(1219年)、北条泰時が開基
 本尊:不動明王
 所在地:神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目1-5
 訪問日:2015年1月24日、2019年5月7日

 

 2015年1月24日 訪問

極楽寺切通に祀られた真言宗大覚寺派のお寺です。弘法大師が諸国巡礼の折、百日間にわたり虚空蔵求聞持法を行ったところと伝えられています。

成就院の参道
山門には東結界の扁額
山門脇に案内板
普明山の扁額
境内の奥に本堂
弘法大師像
小さな八角堂
子生石
不動明王
参道から眺める由比ヶ浜

境内には弘法大師像聖徳太子1300年忌に建てられた八角の小堂があります。極楽寺坂を見下ろす高台の上にあることから目の前に由比ヶ浜を一望することが出来ます。

 

 2019年5月7日 訪問

成就院は鎌倉三十三観音霊場の正観音を祀るお寺です。新田義貞の鎌倉攻めにおいて往時の建物は焼かれましたが元禄年間(1688-1704年)に現在の地に再建されました。

西結界門から参道を登って行くと山門です。普明山法立寺成就院が正式名称のようですが扁額には善明山と書かれていました。

舗装道路が登ってくる極楽寺坂
西結界門
善明山の扁額を掲げる山門
小さな境内

小さな境内には不動明王像や子育て地蔵、文覚上人荒行像があります。縁結びのご利益があると言うことから観光客も多く訪れていました。

和を以て貴し
子生み石
不動明王像
不動明王分身の案内板
参道から見下ろす由比ヶ浜

星月夜の井へと下る参道は由比ヶ浜を見下ろす景色の良いところです。108段と言う石段にはたくさんの紫陽花が植えられ紫陽花寺としても知られています。

関連記録・コース

 真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいがくじは)

真言宗の一派、古義真言宗に属する。大覚寺を大本山とする。

 

 北条泰時(ほうじょうやすとき)

1183~1242年、鎌倉幕府第3代執権。1221年承久の乱には幕府軍の大将として上京、引き続き六波羅探題として戦後の処理に当たった。1224年執権。連署・評定衆を置いて合議制を制度化し、1232年御成敗式目を制定して武家政権を確立した。

 

 不動明王(ふどうみょうおう)

五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。

忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。

 

 鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)鎌倉観音霊場(かまくらかんのんれいじょう)

大正から昭和初期にかけて設定された観音霊場で、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所をベースにされている。鎌倉郡三十三箇所と異なり、廃仏毀釈により廃絶・移転してしまった寺も存在した事から23箇所の霊場が新たに加えられている。

1番 大蔵山杉本寺、2番 金龍山宝戒寺、3番 祇園山安養院、4番 海光山長谷寺、5番 満光山来迎寺、6番 錦屏山瑞泉寺、7番 岩蔵山光触寺、8番 飯盛山明王院、9番 稲荷山浄妙寺、10番 功臣山報国寺、11番 帰命山延命寺、12番 中座山教恩寺、13番 稲荷山別願寺、14番 随我山来迎寺、15番 円龍山向福寺、16番 内裏山九品寺、17番 南向山補陀洛寺、18番 天照山光明寺、19番 天照山蓮乗院、20番 天照山千手院、21番 普明山成就院、22番 霊鷲山極楽寺、23番 大異山高徳院、24番 亀谷山寿福寺、25番 泉谷山浄光明寺、26番 扇谷山海蔵寺、27番 若昇山妙高院、28番 巨福山建長寺、29番 蓮菜山  龍峰院、30番 福源山明月院、31番 金宝山浄智寺、32番 松岡山東慶寺、33番 円覚寺仏日庵

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)

無限の力で生あるものすべてを救うという菩薩。密教の修法のひとつ求聞持法(ぐもんじほう)の本尊、また十三参りなどの対象となる。五智宝冠をつけ、右手に智慧の宝剣、左手に福徳の蓮華と如意宝珠を持つ。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 聖徳太子(しょうとくたいし)・厩戸皇子(うまやどのみこ)・豊聡耳 (とよとみみ)

574~622年、古代推古朝の摂政、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子となり摂政として内政・外交・仏教の興隆に力を尽した。

冠位十二階、十七条憲法を制定。豪族勢力を押えて中央集権的官僚国家建設の準備を整えた。外交面では任那回復のための新羅征討、小野妹子を隋に派遣して国交を開いた。

仏教を深く信仰し法隆寺、四天王寺などを建立し、仏典の注釈三経義疏を著わしたと伝えられる。

 

 承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年(承久3)後鳥羽上皇らが鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、執権北条義時を中心とする幕府軍に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流され、新補地頭の設置、六波羅探題の設置など幕府の権力は西国でも強化された。

 

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

承久の乱後、京都の政情を監察しかつ治安を維持するために設置した、政務・軍事を統轄する執政官。南北二名を定員とし西国諸国の訴訟を聴断するとともに、有事の際は在京人をはじめとする京都近国の御家人を指揮する権限が与えられていた。

 

 神仏分離令(しんぶつぶんりれい)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 用明天皇(ようめいてんのう)・橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)

第31代天皇(在位:585年9月5日~587年4月9日)欽明天皇第四皇子。聖徳太子の父。天皇の仏教受容をめぐって物部守屋と蘇我馬子が対立した。陵墓は大阪府南河内郡太子町春日の河内磯長原陵。

 

 推古天皇(すいこてんのう)・額田部(ぬかたべ)・豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)

第33代天皇(在位:593年12月8日~628年3月7日)欽明天皇第3皇女。敏達天皇の皇后。女帝。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると推されて即位。わが国最初の女帝となる。聖徳太子を皇太子、摂政として政治を行い飛鳥文化を現出。陵墓は大阪府南河内郡太子町山田の磯長山田陵。

 

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