三夜沢・赤城神社 


 寺社の種類:式内社(名神大)論社、上野国二宮論社、旧県社
 創建の時期:-
 社殿の様式:神明造
 所在地:群馬県前橋市三夜沢町
 訪問日:2013年4月9日

 

赤城神社は赤城山を御神体とする神社で全国には334社の赤城神社が祀られていると言います。三夜沢赤城神社は上野国二ノ宮である赤城神社の論社の一つです。

参道に鳥居
神社の案内板
境内の案内板
鳥居の脇に石燈
手洗い場
石段の先に拝殿

赤城神社の本社として、三夜沢の赤城神社と大沼の小鳥島にある赤城神社、前橋二之宮町の赤城神社の3社が本社として争われていたと伝えられています。

狛犬と赤の字が入った石燈
石燈籠
神代文字の碑
神代文字の碑
神代文字の案内板
石段の先に拝殿
大きな拝殿
神楽殿

暗い杉林の中には古い石塔や石碑が祀られています。また参道には神代文字文字の石碑もありました。神代文字は神社の石碑のほか古文書などにも登場する文字で、大陸から漢字が伝わる以前に使われた日本独特の文字と言いますが真偽のほどは論議を呼んでいるようです。

拝殿に古い奉納額
木立の中に本殿
木立の中に本殿
杉木立の参道
古い石燈籠
古い石燈籠
関連記録・コース

 大国主命(おおくにぬしのみこと)大己貴命・大穴牟遅神(おおなむちのみこと)

出雲神話の神。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子または孫です。少彦名神(すくなびこなのかみ)とともに、中つ国の経営を行っましたが、天照大神(あまてらすおおみかみ)の使者が来ると国土を献上してみずからは隠退しました。

大黒天と同一視されるようにもなりました。因幡(いなば)の白兎の神話は唱歌にも歌われています。

 

 豊城入彦命・豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)

崇神天皇(すじんてんのう)の皇子。東国の上毛野君(かみつけののきみ)・下毛野君(しもつけののきみ)の祖とされる

 

 神明造(しんめいづくり)

神社本殿の建築様式の一つ。素木造(しらきづくり)、切妻造で、屋上に千木(ちぎ)堅魚木(かつおぎ)を載せます。伊勢神宮が代表例です。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

 崇神天皇(すいじんてんのう)・御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)・御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)

第10代の天皇(在位:前97年1月13日~前30年12月5日)開化天皇の皇子。記紀によれば四道(しどう)将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げ国家の財政制度を確立したという。陵墓は奈良県天理市柳本町の山辺道勾岡上陵。実在が確かな最初の天皇とされされ以前の天皇を欠史八代と言う。

 

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