唐沢山城(別名:栃本城、根古屋城、牛ヶ城) 


 城郭の構造:連郭式山城
 築城の時期:延長5年(927年)、藤原秀郷が築城と伝えられる
 廃城の時期:慶長7年(1602年)
 主な城主: 藤原氏、佐野氏
 所在地:栃木県佐野市富士町
 訪問日:2013年1月11日

 

唐沢山城は標高242mの唐沢山山頂を本丸とする山城で、関東七名城の一つに数えられるの城です。築城は平安末期の武将で平将門の乱を平定した藤原秀郷と伝えられています。

一時期、足利の荘に移り唐沢山城は廃城となりましたが建保元年(1213年)、佐野氏を名乗った佐野成俊により完成しました。

金の丸とお花畑の案内板
金の丸跡か
武者だまり跡には土塁も残って
唐沢神社の裏参道
唐沢神社の古い石垣
本丸跡の案内板

戦国時代の佐野氏は相模の北条氏、越後の上杉氏の二大勢力に挟まれ、幾度もその攻撃を受けました。

山頂一帯には幾つかの郭があり金の丸や長門丸には空掘跡、本丸を取り囲む武者だまりには土塁の跡も残っています。本丸は唐沢山の山頂で唐沢神社が祀られていました。

唐沢神社の拝殿
真新しい狛犬
唐沢神社の拝殿
真新しい狛犬
奥女中の詰め所、引き局跡
表参道の石段

石段を下って行くと唐沢神社の社務所が建つ南城です。ここは展望が開けるところで霞んだ空の下には新宿の高層ビル、左手にはスカイツリーも霞んでいました。

猫が日向ぼっこをする南城址
南城跡からの展望
唐沢山神社の案内板
唐沢山神社の案内板
関連記録・コース

 平将門(たいらのまさかど)

?~940年、平安中期の武将。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し関東独立を図ったが朝廷の追討軍との争いに破れた。京都で処刑され首が飛び帰って葬られたのが大手町将門首塚とされる。

 

 藤原秀郷(ふじわらひでさと)

平安中期の武将。俵藤太(たわらとうた)と呼ばれる。平将門の乱を平貞盛とともに平定し、下野守・武蔵守となる。小山・結城氏などはその子孫。百足退治の伝説でも知られる。

 

 平将門(たいらのまさかど)

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TAG:唐沢山・諏訪岳 2013年1月11日
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