蘇羽鷹神社(そばたかじんじゃ) 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:天正4年(1576年)
 主祭神:国之常立神
 社殿の様式:-
 所在地:千葉県松戸市二ツ木宮前1732
 訪問日:2012年1月1日

 

千葉孝胤の馬橋城は松戸の八ヶ崎から馬橋の周辺にあったと言われています。蘇羽鷹神社は廃城となった馬橋城の跡に千葉氏の加護を受けて創建されたと言われる神社です。

蘇羽鷹神社の参道
庚申堂
手水舎
初詣で賑わう拝殿
境内に稲荷大明神
高城氏の小松姫を祀る姫宮

三日月神社の参拝ののち国道6号線に面した蘇羽鷹神社の初詣です。住宅地の中と言うこともあり境内はたくさんの初詣客で賑わっています。

鳥居の傍にはふるい庚申堂、近くには千葉氏のお姫様小松姫を祀った姫宮の祠や冨士嶽神社もありました。古い歴史が漂っているような小さな神社でした。

 国常立命・国底立尊(くにとこたちのみこと)

日本書紀によれば天地開闢の最初に出現した神様。国狭槌(くにのさつち)尊、豊斟渟(とよくむぬ)尊とともに独化の三神と言われる神様です。

 

 千葉孝胤(ちばたかたね)

1443~1505年、室町時代の武将。千葉輔胤(すけたね)の子。下総佐倉城の城主。父とともに足利成氏(しげうじ)に属す。文明10年(1478年)上杉定正(さだまさ)に攻められ臼井城にこもる。文明11年(1478年)太田道灌(どうかん)に攻められ敗れた。

 

 庚申塔(こうしんとう)、庚申塚(こうしんづか)

庚申待ち供養塔、主神として青面金剛のほか猿田彦大神帝釈天大日如来像が彫られるもの、庚申塔、青面金剛、猿田彦大神などの文字が彫られるものがある。

三猿や鶏、邪鬼、日月などが併せて彫られることが多い。

 

 足利成氏(あしかがしげうじ)

1434~1497年、室町時代の武将。1449年、第5代鎌倉公方。1454年関東管領上杉憲忠を殺害して享徳の乱を引き起こした。1455年下総古河城に移って古河公方と称し堀越公方と関東の支配権をめぐって対抗した。

 

 上杉定正(うえすぎさだまさ)

1443~1494年、戦国時代の武将。扇谷上杉持朝の子。太田道灌を登用して勢威があがったが、山内上杉顕定の中傷によって道灌を暗殺。顕定との交戦中、陣中で没した。

 

 太田道灌(おおたどうかん)

1432~1486年、室町中期の武将。上杉定正の執事となり江戸城を築城。山内上杉家の内紛を鎮圧したが、かえって扇谷上杉家の勢力増大を恐れた山内上杉顕定(あきさだ)方の讒言により、主君定正のため謀殺された。兵法に長じ、和漢の学問や和歌にもすぐれた。

 

 青面金剛(しゅうめんこんごう)

密教で鬼病を流行させる鬼神。日本では庚申信仰に取り入れられ、庚申待まちの本尊となる。 体は青色で二本、四本または六本の腕があり、弓矢宝剣を握り、頭髪はさか立ち体に蛇をまとい足に鬼を踏んでいる。

 

 猿田彦神(さるたひこのかみ)

日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。

 

 帝釈天(たいしゃくてん)

仏教の守護神。インドのベーダ神話のインドラ神が仏教に取り入れられたもの。十二天の一で東方を守る。須弥山頂の?利天(とうりてん)の主で喜見城に住む。

 

 大日如来(だいにちにょらい)

真言密教の教主。諸仏、諸菩薩の根元をなす理智体で宇宙の実相を仏格化した根本仏とされる。智徳の表現が金剛界大日、理徳の表現が胎蔵界大日とされ、天台宗では大日如来と釈迦如来は法身、応身で同体とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

 

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