不忍池弁天堂 


 寺社の種類:寺院
 創建の時期:寛永2年(1625年)、慈眼大師天海大僧正が創建
 本尊:弁財天
 札所:谷中七福神
 所在地:東京都台東区上野公園2-1
 訪問日:2010年4月9日

 

上野公園の不忍池に祀られた弁天堂です。東叡山寛永寺を創建した天海僧正は不忍池を琵琶湖に見立て竹生島にちなんで弁天島を築きました。そののち竹生島宝厳寺の弁財天を勧請し弁天堂が建立されたとと言います。

江戸でもっとも古いとされる谷中七福神めぐりの寺の一つでもあります。

参拝客でにぎわう参道
不忍池弁天堂

不忍池を訪ねたのは4月の初め、参道には盛りを過ぎたようですが桜の花が咲いていました。

盛りを過ぎた桜
不忍池の先に桜並木

 天海僧正(てんかいそうじょう)慈眼大師(じげんだいし)

1536~1643年、江戸初期の天台宗の僧。諡号は慈眼大師。比叡山・興福寺などで諸宗について学び川越の喜多院などに住した。徳川家康の帰依をうけて政治にも参与しした。家康死後、家康を久能山から日光山に東照大権現として改葬。また、江戸上野に寛永寺を創建した。

 

 弁才天・弁財天(べんざいてん)

インドの河神で音楽・智恵・財物の神として吉祥天とともに広く信仰された女神。

仏教に取り入れられ吉祥天と同一視されるようになった。八本の手で各種の武具を持つ像もあるが、鎌倉時代には二手で琵琶を持つ女神像が一般化した。日本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。

 

 天海僧正(てんかいそうじょう)慈眼大師(じげんだいし)

1536~1643年、江戸初期の天台宗の僧。諡号は慈眼大師。比叡山・興福寺などで諸宗について学び川越の喜多院などに住した。徳川家康の帰依をうけて政治にも参与しした。家康死後、家康を久能山から日光山に東照大権現として改葬。また、江戸上野に寛永寺を創建した。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 吉祥天(きちじょうてん)

インド神話の神でビシュヌ神の妃とされた。仏教では徳叉迦(とくさか)を父に、鬼子母神(きしもじん)を母に生まれ、毘沙門天の妃とされる。仏法を護持する天女。天衣宝冠を着け左手に如意宝珠を捧げ持つ。

 

 天台宗(てんだいしゅう)

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

 

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

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