吉祥山永平寺 


 寺社の種類:曹洞宗大本山
 創建の時期:寛元2年(1244年)、開山:道元
 所在地:福井県吉田郡永平寺町志比5-15
 訪問日:2007年5月15日

 

永平寺は曹洞宗の開祖、道元禅師により開山された古刹で、總持寺と並ぶ曹洞宗の大本山です。

山門前の駐車場に車を停め参道を登っていきます。正面に見える門は勅使門。大きな山門も自由にくぐれるのは永平寺の管主だけとか。

訪れた時間が12時前と言うことで、大きな仏殿では20人ほどの僧侶が読経を上げていました。腹に響く木魚の音と、低い読経の声はここが修行の場と言うことを感じさせてくれます。

祠堂殿
勅使門
納経塔
見上げる山門

ここに修行する修行僧は、永平寺に入門するときと修行を全うし永平寺を出るときにのみ通ることが出来ると言います。

参拝者は左手の吉祥閣の玄関から入山することになります。最初に通された大広間で若い坊さんが境内での注意や建物の説明をしてくれました。

ゆく年くる年でも紹介された梵鐘
山門に掲げられた額
山門の多聞天と持国天
大きな山門

最初は昭和の画家100人ほどが書いたという天井絵を配した傘松閣の大広間。ちょうど団体客に説明していたお坊さんの話しを聞くことが出来ました。天井絵の中には鳥や花以外を描いたものが5枚あるとか。獅子やリスなどの絵と言いますがなかなか見付けるのは難しそうです。

石段の上にそびえる仏殿
僧堂は座禅が行われるところ
仏殿から眺める中雀門
 

永平寺の建物は禅宗特有の7堂伽藍と言われる建物を長い廊下で結ぶ形式。最初は大きな山門に立ち寄ります。目の前の梵鐘はゆく年くる年でも紹介されるところです。

仏殿の須弥壇
彫刻が施された欄間
承陽門
荘厳な法堂の天蓋
法堂
承陽殿から眺める承陽門
承陽殿の偏額
永平寺の聖地、承陽殿
釈迦牟尼仏を祭る仏殿
仏殿から眺める中朱雀門
 
祠堂殿の閻魔像

仏前に御霊供膳(おりくぜん)を上げる時間のようで、料理などを司る大庫院では長年伝わった作法に乗っ取り、若い僧侶がおりく膳の用意をしていました。

仏殿の左手奥は道元禅師を祀る承陽殿です。ここには歴代の管主の霊も眠っている永平寺の聖地と言います。

祠堂殿の地蔵菩薩
祠堂殿には一般の人の位牌も収められています
寂光苑の石像は道元禅師の若いころの姿
小さな池に観音像

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

釈迦の入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩

 

 阿弥陀如来(あみだにょらい)

大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で生あるものすべてをすくう仏様。念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代にさかんになり、浄土宗浄土真宗時宗などの浄土教宗派が成立した。

阿弥陀如来像は質素な形で如来の通相と呼ばれる姿をしています。小指を除く三指と親指で輪にした九品来迎印(くぼんらいごういん)を結んでいるのが特徴です。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 浄土宗(じょうどしゅう)

法然上人を宗祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の聖典とするが、観無量寿経を重視して専修念仏によって極楽浄土への往生を宗旨とする。総本山は京都の知恩院。

 

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)

法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。

 

 時宗(じしゅう)遊行宗(ゆぎょうしゅう)

日本仏教の一宗派。念仏系の宗派で1276年一遍(いっぺん)が開いた。阿弥陀経を根本経典とし経中の臨命終時の言葉を宗の名とした。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

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