西国観音霊場15番 新那智山観音寺(今熊野観音) 


 寺社の種類:真言宗泉涌寺派のお寺
 本尊:十一面観音(秘仏)
 創建:(伝)大同年間(806年~810年)、開基:(伝)弘法大師
 所在地:京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
 訪問日:2007年5月11日

 

今熊野観音は泉涌寺の近くにある小さなお寺です。後白河法皇が本尊を深く信仰し、持病の頭痛が平癒したと言うことから、頭痛、中風、厄除けの観音として多くの信者を集めているところです。

参道の子守り地蔵
本堂
本堂
本堂

朱塗りの橋を渡り参道を進むと子守り大師という大きな像が建っています。小さな石段を登ると本堂。本堂の脇にはぼけ封じの枕カバーが売っていました。以前は枕を持ってきて祈願しましたが現在は祈願した枕カバーを売っていると言います。

観音大菩薩の赤い提灯
朱塗りの塔

本堂に右手に弘法大師を祭った太子堂。石段脇のぼけ封じ観音の前には、ふくよかな顔をした年寄りの石像が奉納されていました。

太子堂
太子堂
ぼけ封じ観音
菩提樹

太子堂から松林の中を登って行くと朱塗りの多宝塔が建っています。ここは医聖堂と呼ばれるところで奈良や平安の医学者が祀られています。貝原益軒、杉田玄白など歴史の教科書に名前を連ねる医者の名前もあると言います。

関連記録・コース

 真言宗泉涌寺派(しんごんしゅうせんにゅうじは)

真言系仏教宗派の一つ、古義真言宗に属する。総本山は泉涌寺。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 空海(くうかい)弘法大師(こうぼうだいし)

平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 真言宗(しんごんしゅう)

弘法大師空海(774~835)が唐で学んだ密教を教義に平安初期に開いた。大日如来を教主とし、身口意(しんくい)三密の加持力で即身成仏(じょうぶつ)させるのを本旨とする。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

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