赤間神宮 


 寺社の種類:官幣大社・別表神社
 創建の時期:建久2年(1191年)
 主祭神:安徳天皇
 社殿の様式:-
 所在地:山口県下関市阿弥陀寺町4-1
 訪問日:2016年9月1日、2006年11月6日

 

赤間神宮は壇ノ浦で亡くなった安徳天皇を祭る神社です。竜宮城を思わせるような山門をくぐると朱塗りも鮮やかな拝殿が建っていました。

拝殿の左側には13段に積み重なった水天供養塔が祀られています。案内板にはこの近郊で水難に遭った人々を供養するものと言います。

その奥には平家物語でお馴染みの耳なし法一の小さなお堂、さらにその奥には壇ノ浦で戦死した平家一門を供養するという七盛塚がありました。この付近は夜になると恐ろし気なところなのかも知れません。

 

 2016年9月1日訪問

赤間神宮の石鳥居
石段の上に竜宮造の楼門
石段を登ると朱塗りの拝殿
神楽殿の先に拝殿
平家一門の供養塔
耳なし芳一堂
境内から見下ろす神門
朱塗りの拝殿

 

 2006年11月6日訪問

国道から眺める赤間神宮
夕暮れが迫る関門海峡
竜宮造りの楼門
石段の上に赤間神宮の神殿
朱塗りの神殿
朱塗りの神殿
浅間神宮の楼門
神楽が奉納される舞殿
13段に積み重なった水天供養塔
境内には耳なし芳一のお堂
湯西川の奉納提灯
琵琶を持った耳なし芳一像
平家一門を供養する七盛塚
七盛塚の案内板
薄暗い七盛塚
薄暗い七盛塚

 安徳天皇(あんとくてんのう)

第81代天皇(在位:1180年2月21日~1185年3月24日)高倉天皇の皇子。母は平清盛の娘建礼門院徳子。2歳で即位、平宗盛に擁せられて西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。陵墓は山口県下関市阿弥陀寺町の阿弥陀寺陵。

 

 安徳天皇(あんとくてんのう)

第81代天皇(在位:1180年2月21日~1185年3月24日)高倉天皇の皇子。母は平清盛の娘建礼門院徳子。2歳で即位、平宗盛に擁せられて西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。陵墓は山口県下関市阿弥陀寺町の阿弥陀寺陵。

 

 高倉天皇(たかくらてんのう)

第80代天皇(在位:1168年2月19日~1180年2月21日)後白河天皇第7皇子。在位中は平清盛の隆盛時にあたりその娘徳子を中宮とした。陵墓は京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の後清閑寺陵。

 

 平清盛(たいらのきよもり)

1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。

 

 高倉天皇(たかくらてんのう)

第80代天皇(在位:1168年2月19日~1180年2月21日)後白河天皇第7皇子。在位中は平清盛の隆盛時にあたりその娘徳子を中宮とした。陵墓は京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町の後清閑寺陵。

 

 平清盛(たいらのきよもり)

1118~1181年、平安末期の武将。平忠盛の長男。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元の乱・平治の乱により対立勢力を一掃、従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ官職を一門で独占、知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。

 

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