西国観音霊場1番 那智山 青岸渡寺(なちさん せいがんとじ) 


 寺社の種類:天台宗
 創建の時期:仁徳天皇治世(313~399年)、開基:裸形上人
 所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
 訪問日:2006年10月16日

 

西国三十三カ所は近畿周辺に点在する古い観音霊場です。養老2年(718年)徳道上人が閻魔大王から授かった三十三の宝印に従い三十三の観音霊場を設けたのが始まりで、その後花山上皇が観音霊場を再興したと伝えられています。

江戸時代になってからは坂東三十三観音霊場秩父三十四観音霊場の3つの霊場を合わせ百観音霊場が巡拝されるようになりました。

あいにく本堂にはテントが張れられています
古い本堂にはたくさんの千社札

那智の滝から鎌倉時代の石段と言われる急な坂道を登って行くと青岸渡寺です。ここが西国観音霊場の最初の寺です。

宿坊などの先に那智の滝
信徒会館
観光ポスターでもお馴染みの三重塔
ここからは那智の滝が見えるところ

ここから結願の寺華厳寺までの巡礼道はおよそ1000km、近畿から岐阜へと続く長い巡礼の旅の始まりです。

関連記録・コース

 如意輪観音(にょいりんかんのん)

六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 花山天皇(かざんてんのう)

第65代天皇(在位:984年8月27日~986年6月23日)冷泉天皇の第1皇子。986年皇太子懐仁(やすひと)親王の即位を急ぐ外祖父藤原兼家らの陰謀により花山寺で出家した。陵墓は京都府京都市北区衣笠北高橋町の紙屋川上陵。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

 秩父三十三観音霊場・秩父三十三ケ所

秩父地方にある三十三ヶ所の観音の霊場。実際は三十四ヶ所あり西国三十三観音霊場坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場とした。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 

 源頼朝(みなもとよりとも)

1147~1199年 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱のち伊豆蛭ヶ小島に配流される。1180年以仁王もちひとおうの平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山の戦いに敗れ安房に逃げたが東国武士の来援を得て関東を制し鎌倉にはいって根拠地とした。平維盛の追討軍を富士川に破り弟の範頼・義経を西上させ、85年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。全国に守護・地頭を設置、武家政治の基礎を確立。

 

 源実朝(みなみとさねとも)

1192~1219年、鎌倉幕府三代将軍。源頼朝の二男。1203年将軍となるが実権は北条氏が握った。鶴岡八幡宮社頭で甥の公暁に暗殺され頼朝直系の子孫は断絶した。

 

 西国三十三観音霊場・西国三十三ヶ所

近畿地方を中心に散在する33ケ所の観音霊場。花山法皇の巡礼を創始とすると伝えられる。室町時代から民間人の参拝が増え、江戸時代に盛んとなった。

 

 坂東三十三観音霊場・坂東三十三ヶ所

源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として制定したと伝えられてる33ヶ所の観音霊場。神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある札所を巡拝すると1,300キロメートルになると言う。

 

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