恐山菩提寺(釜臥山菩提寺) 


 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 創建の時期:貞観4年(862年)、開基:慈覚大師円仁
 所在地:青森県むつ市田名部字宇曽利山
 訪問日:2006年8月10日

 

下北半島の中央に位置する宇曽利湖は剣山の噴火により造られたカルデラ湖です。鶏頭山、地蔵山、剣山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、釜臥山の八つの峰が外輪山として宇曽利湖をとりまき、湖畔には恐山があります。

恐山は慈覚大師円仁を開山とする古くからの霊場で、白山、立山と並び日本三大霊場の一つと言われています。

広い駐車場にはお地蔵さん
参道の先には恐山の扁額を掲げる山門
硫黄の匂いが鼻を付く地獄めぐり
地獄めぐりから眺める八角堂

恐山に向かう県道4号線は参道として古くからたくさんの人が歩いた道のようで、道端には赤い着物を着た観音象が祀られています。この世とあの世を分ける三途の川という赤い太鼓橋の脇を進むと広い駐車場です。すでに4時を過ぎていましたが観光バスなども停まっていました。

大きな山門をくぐると硫黄の匂いが鼻を衝きます。広い参道を進むとガイドブックにも紹介されている古滝の湯や冷抜の湯がありました。参拝者は無料で入浴できると言いますが、誰も入っていないお風呂は入りにくものです。

血の池地獄という赤い池
小山の上に地蔵菩薩が祀られていました

地蔵堂に参拝した後、硫黄の匂いが鼻を付く地獄めぐりです。黒く変色した岩には無間地獄など地獄にちなんだ名前が付けられています。八角堂の奥には血ノ池地獄と名付けられた小さな池、その奥は賽ノ河原など、付近はまさにここは地獄の世界です。

やがて宇曽利湖の湖畔に出ると白い砂浜です。ここは極楽の世界とか。青い水をたたえる湖の先には外輪山の八峰が並んでいるようですが今日は低い雲の中にその姿を隠していました。

宇曽利湖を眺める五智山展望台
五智山展望台の先には白い砂浜

恐山を有名にしたのはいたこ。死者を呼び寄せると言う「いたこ」の口寄せは今も残っているようですが閑散とした境内にはそれらしい店もありませんでした。

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 円仁(えんにん)慈覚大師(じかくだいし)

平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。

 

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

釈迦の入滅後から弥勒菩薩が世に現れるまでの間、無仏の世に住み六道の衆生を教え導くことを誓いとした菩薩。慈愛に満ちた円満柔和な僧形で、多くは右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

 

 円仁(えんにん)慈覚大師(じかくだいし)

平安時代初期の僧。延暦寺第3世座主。天台宗山門派の祖。大同3年(808年)比叡山に登って最澄の弟子となる。838年遣唐使の船に乗って入唐する。死後、貞観8年 (866年)慈覚大師を追諡。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)

釈迦の入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩

 

 錫杖(しゃくじょう)

僧侶や修験者が持ち歩く杖。頭部は塔婆形で数個の環がかけてあり、振ったり地面を強く突いたりして鳴らす。

 

 最澄(さいちょう)・伝教大師

平安初期の僧。767~822年。天台宗の開祖。比叡山に入り根本中堂を建立。延暦23年(804年)空海とともに入唐し翌年帰国した。

 

 訪問者数 今月:6件
 Back