三浦按針塚 


 観光地の種類:史跡
 所在地:神奈川県横須賀市西逸見町3丁目62
 訪問日:2014年1月23日

 

三浦按人はオランダのリーフェデ号の航海長、慶長5年(1600年)台風で遭難し備後の臼杵に漂着しました。徳川家康は政治、外交顧問として三浦按人を重用し日本橋に屋敷を逸見村に250石の領地を与え厚遇したと言います。

三浦按人夫婦墓の案内板
三浦安針塚
三浦安針塚
三浦安針塚の側に石碑

横須賀を見下ろす塚山公園の丘の上には三浦按人夫妻を供養する古い宝篋印塔が祀られていました。毎年4月8日には按針の遺徳をしのび、国際色豊かな記念式典が行われると言います。

 徳川家康(とくがわいえやす)東照大権現(とうしょうだいごんげん)

1543~1616年、江戸幕府初代将軍。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣秀吉の死後石田三成関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603年)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。武家諸法度などを定めて幕政の基礎を築いた。

 

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔、墓碑塔として建てられた。方形の石を下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1536~1598年、安土桃山時代の武将。織田信長に仕え戦功をたて羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一した。

天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり豊臣を賜姓。検地・刀狩りなどを行い兵農分離を促進した。明国征服を志して朝鮮に出兵したが戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。

 

 石田三成(いしだみつなり)

1560~1600年、安土桃山時代の武将。豊臣秀吉に重用され、五奉行の一人として太閤検地などに活躍。秀吉の死後、遺子秀頼を擁ようして徳川家康と対立、関ヶ原の戦いに敗れ京で斬首された。

 

 関ヶ原の戦

慶長5年(1600年)関ヶ原で石田三成らの西軍と徳川家康らの東軍とが天下を争った戦い。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝した。石田三成らは処刑され豊臣秀頼は60万石の大名に転落した。これにより徳川氏の覇権が確立した。

 

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