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あの頂を越えて

神社参拝

~神社を訪ねて~

あの頂を越えて

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~神社参拝:神社を訪ねて~

 北口本宮富士浅間神社

 寺社の種類:旧県社、別表神社
 創建の時期:-
 社殿の様式:−
 所在地:山梨県富士吉田市上吉田
 訪問日:2015年8月10日

 

延暦7年(788年)に甲斐守である紀豊庭が諏訪の森に諏訪社を造営しました。その後、永禄4年(1561年)には武田信玄が現在の地に富士権現を造営したとされています。

また社伝によれば日本武尊が東方遠征の折に祠と鳥居を建てたのが始まりとされ、垂仁天皇の代には富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって木花開耶姫を祀ったとする説もあるようです。

参道に大きな鳥居
参道に続く石灯籠
鳥居改修の記念碑
杉木立の参道
角行の立行石
立行石の案内板
仁王門跡
鳥居に三国第一山の神額

一時荒廃していたものの元文3年(1740年)、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって拝殿、手水舎、神楽殿、随神門を建立再興したと言います。

奉納されたたいまつ
富士の歴史とすその路の案内板
狛犬
狛犬
朱塗りの随神門
福地八幡社
極彩色の随神門
左の随身像の豊磐間戸神
右の随身像は櫛磐間戸神
随神門をくぐると神楽殿

大きな鳥居には三国第一山の神額が掲げられています。三国とは日本、唐、天竺を指すとされ木造りの鳥居では日本一と言います。

随神門には随神像が祀られています。右の随身像は老形の櫛磐間戸神、左の随身像の若形の豊磐間戸神と言います。

左手に御手水場
神楽殿の先に拝殿
極彩色の拝殿
拝殿に奉納額
奉納された天狗と烏天狗
北口本宮の神額を掲げる拝殿

神門をくぐると極彩色の神楽殿、その左手には御手水社があります。ここの水は2kmほど程先の泉瑞から引かれているものです。この水を持ち帰る人もいるようで水汲みは禁止の立て札がありました。

拝殿の脇には富士太郎杉、富士夫婦檜と名付けられた御神木がそびえています。極彩色の拝殿には富士講などの奉納額や大きな天狗、烏天狗の面などが奉納されていました。

拝殿に続く本殿
東宮本殿
東宮本殿の案内
本殿の裏に恵比寿社
西宮本殿
境内に祀られた摂社

本殿の脇には東宮本殿と西宮本殿、裏には恵比寿社が祀られています。東宮本殿、西宮本殿は室町末期の建物で国の重要文化財に指定されています。

境内に神変大菩薩の神像
境内の諏訪神社
神門の天井に千社札
諏訪神社の神門
境内に下諏訪神社
境内に富士守稲荷神社
境内にたくさんの石碑
境内に盡忠報国

境内には諏訪神社が祀られていました。甲斐国志によると「浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座・・・」とされ浅間神社が勧請される前から祀られていた神社です。

参道には富士講に因んだ石碑が多く残っています。富士講は角行により創唱された富士信仰です。参道には角行が修業したとされる立行石がありました。

やまなしの歴史文化公園の案内板
富士北口登山道本道
吉田登山道へ向かうハイカー
丸藤宮元講の先達・井田浅行像
富士講の石碑
村上光清は富士講の創始者
登拝記念碑
吉田登山道への道

その後は村上光清や食行身禄によって富士講は発展しました。身禄は富士山の烏帽子岩で入定したと言います。八合目の山小屋元祖室近くには烏帽子岩神社のお社が建っています。その後、江戸八百八講と呼ばれるまで富士講は発展し、富士吉田はたくさんの御師宿でにぎわったと言います。

北口浅間神社から吉田登山道5合目までは登山道が開かれています。ネットなどでも紹介されているハイキングコースで、途中にはみそぎ所などの石碑や祠、神社などが多く点在するする歴史の登山道と言います。

関連記録・コース
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