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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

あの頂を越えて

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 山中城

 城郭の構造:山城
 築城の時期:永禄年間(1558年〜1570年)、北条氏康
 廃城の時期:天正18年(1590年)
 主な城主:松田氏
 所在地:静岡県三島市山中新田
 訪問日:2014年7月31日

 

北条氏により築城された箱根十城の一つです。小田原城の西の防衛を担う最重要拠点で東海道を取り込む形で築城された山城です。

天正18年(1590年)の小田原征伐では豊臣秀次が率いる7万の軍勢の攻撃に会い、守将である北条氏勝ら4千が奮戦したものの半日で落城したと言います。昭和5年(1930年)国の史跡に指定され、平成18年(2006年)には日本100名城にも指定されています。

山中城の案内板
山中城の案内板
三ノ丸堀の案内板
三ノ丸堀
三ノ丸堀の案内板
三ノ丸堀の案内板
三ノ丸堀の案内板
畝堀
階段を登って行くと西ノ丸跡
西ノ丸と二ノ丸の空堀
広い西ノ丸
西ノ丸の見晴台

三島市が公園として整備され城内には空堀や土塁が復元され障子堀や畝堀など北条家の築城技術の特徴が保存されています。

東海道を挟んで西側には三ノ丸、西ノ丸、二ノ丸、本丸、北ノ丸の曲輪が連なり、東側には御馬場曲輪、岱崎出丸があります。

西ノ丸をめぐる障子掘り
西櫓
土塁の案内板
溜池
木立の中を本丸へ
本丸掘り
北ノ丸跡
広い北ノ丸
本丸北の架け橋
架け橋の案内板

豊臣秀次の軍勢が押し寄せたとき岱崎出丸は普請の途中であったこともあり、山中城の副将、間宮康俊がわずか100余名で奮戦するも戦死、そののち三ノ丸、本丸もほどなく破られ北の丸での攻防の末、城主松田康長も戦死し中山城は落城したと伝えられています。

天守櫓跡
空堀が巡らされている
本丸跡
本丸跡の案内板
兵糧庫あと
兵糧庫あとの案内板
駒形諏訪神社の大カシ
八坂神社
八坂神社の社
八坂神社

力攻めをしたためか豊臣勢の死傷者も多く岱崎出丸では古参の武将一柳直末も戦死しています。三の丸跡にある宗閑寺(そうかんじ)境内には、豊臣勢の戦死者が葬られています。

八坂神社の鳥居
山中城址の石柱
岱崎出丸の入り口
山中城の案内板
出丸御馬場跡
空堀あと
岱崎出丸の案内板
すり鉢郭の案内板
すり鉢郭の見張り台
山中城の案内板
小田原北條氏ゆかりの城
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