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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 上田城(尼ヶ淵城)

 城郭の構造:梯郭式平城
 築城の時期:天正11年(1583年)、真田昌幸が築城
 廃城の時期:明治7年(1874年)
 主な城主: 真田氏、仙石氏、松平氏
 所在地:長野県上田市二の丸
 訪問日:2013年5月26日

 

上田城は戦国の雄、真田昌幸が築いた城です。上田城は2度にわたって徳川勢との合戦を繰り広げたところです。

天正10年(1582年)武田氏の滅亡により徳川家康北条氏政、氏直は武田氏の旧領をめぐり対立しました。この時、徳川家康は沼田領の明け渡しを真田氏に命じ、これを拒否した昌幸は上田城に籠城し第1次上田城合戦がこの地で繰り広げられました。真田昌幸信之親子の巧みな戦略に徳川勢は混乱、多くの将兵がこの合戦で死傷したと言います。

堀を渡ると城門
城門には大きな真田石
城内には真田神社
酒樽茶室

慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦のため徳川秀忠が率いる3万8千の徳川軍は中山道を西進、西軍に与した真田昌幸幸村親子が籠る上田城を攻撃しますた。この時も巧みな戦術で徳川軍は大混乱に陥り、結果として関ヶ原の合戦に遅れたと言います。

徳川家にとって上田城はまさに鬼門の城とも言えるところです。

真田のシンボル赤備の兜
真田神社の拝殿
真田神社の本殿
真田井戸は抜け穴のあと
西楼は建築当時の建物
西楼の説明板

大手門では上田の観光を盛り上げるため、派手な衣装を身にまとった若者が観光客を相手に写真撮影をしていました。

本丸の内部は明治時代の廃城令で民間に払い下げられ、一時は遊郭になっていたと言います。現在残っているのは石垣や濠、土塁などと西楼です。本丸跡には戊辰戦争の従軍記念の石碑などがありました。

場内から見上げる城門
場内から眺める西楼
本丸跡の石碑
戊辰の役の従軍記念碑
本丸跡の石碑
城址公園の案内図
本丸の堀
隅落としの案内板
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