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あの頂を越えて

寺院参拝

~お寺を訪ねて~

あの頂を越えて

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~寺院参拝:お寺を訪ねて~

 天童山景徳院〜武田家滅亡の歴史を伝えるお寺〜

 寺社の種類:曹洞宗の寺院
 創建の時期:天正10年(1583年)、徳川家康、拈橋チョウ因の開山
 本尊:釈迦如来
 所在地:山梨県甲州市大和町田野389
 訪問日:2013年4月16日

 

天正10年(1583年)3月、武田勝頼織田信長徳川家康連合軍の甲斐侵攻により甲府から移転した本拠であった新府城を捨て小山田信茂を頼り岩殿山を目指しました。しかし信茂の謀反に遭い天目山へと敗走する途中この地で滅亡しました。

景徳院はそののち甲斐を治めた徳川家康が、勝頼の菩提を弔うため創建したお寺です。

景徳院の総門
山梨歴史公園の案内板
景徳院境内の案内図
景徳院境内の案内板
景徳院の山門
山門には景徳院の扁額
境内の奥に本堂
武田菱の幕を張った本堂
本堂の内部
武田勝頼辞世の句

大きな山門の先は広い境内となっていて、その奥に本堂が建っています。武田勝頼の菩提寺とあって武田菱の幕を張った本堂には甲冑姿の武田勝頼の写真が掲げられています。

境内の松林の中には武田勝頼、信勝と北条夫人の墓、辞世の句などがあります。

木立の中に甲将殿
境内には古い石碑
武田勝頼辞世の句
勝頼公生害石
勝頼公夫人生害石
古い石碑
信勝公生害石
勝頼公主従の墓の案内板

武田勝頼が落ち延びようとしていた天目山棲雲寺は日川渓谷の上流にある臨済宗のお寺で、当時は木賊山と呼ばれた山麓に業海本浄が創建したと言います。

勝頼公主従の墓
首洗い池の案内
没頭地蔵
辞世の句の石碑

武田氏第13代武田信満は応永24年(1417年)、室町幕府に追われ木賊村で自害し一時甲斐武田家は断絶したと鎌倉大草紙に記載されています。そののち第20代の武田勝頼が天目山の山麓田野村で滅亡したことになるのは歴史の偶然なのでしょうか。

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