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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 沼田城(蔵内城)

 城郭の構造:丘城
 築城の時期:天文元年(1532)沼田顕泰が築城
 廃城の時期:天和2年(1682年)
 主な城主: 沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏
 所在地:群馬県沼田市西倉内
 訪問日:2012年4月16日

 

沼田城は利根川の河岸段丘上に築かれた戦国時代の丘城です。坂東八平氏・三浦氏の後裔である沼田顕泰により築城されました。その後、上杉氏、北条氏、武田氏が北上野の拠点として勢力を争ったところです。本能寺の変後、真田昌幸が沼田城を掌握していましたが、豊臣秀吉の命により一時北条氏の領有するところになりました。

公園内のチューリップも壺のまま
沼田城の鐘が吊るされた鐘楼
鐘楼の裏には古い石碑
沼田城の歴史が紹介された案内板
沼田城の古図
発掘された本丸西櫓台の石垣

天正17年(1589年)、沼田城の城代、猪俣邦憲が真田氏の属城である名胡桃城を奪う事件が発生。これが豊臣秀吉小田原征伐の理由になったことは歴史の教科書などにも伝えられるところです。

その後、真田氏の領有するところとなり、関ヶ原の戦いで東軍に属した真田信幸は真田氏の旧領を引き継ぎ慶長元年(1596年)より沼田城の改修、整備を行い五層の天守を築きました。

蕾が膨らみ始めた御殿桜
こちらの御殿桜は蕾も固いまま
五大尊講の石碑
木立の中の広場は捨曲輪跡
八郎石の案内板
八郎石

天和元年(1681年)、真田信利が改易されると沼田藩は廃藩となり、以降1703年まで天領となりました。

沼田城を訪れたのは戸神山の山行の帰りです。例年であれば桜の花がほころび始める時期にもかかわらず、本丸跡に植えられた御殿桜は蕾さえも膨らんでいません。花見客をあてに用意された屋台もあてが外れたようで店を開いているところもありません。

捨曲輪の中に石碑
天狗堂は天狗党ゆかりのお堂
捨曲輪から眺める戸神山と高王山
天守跡に立つ利根英霊殿
沼田城の絵図
木立の中の天守跡

御殿桜が植えられた高台は本丸西櫓台のあった所とか。発掘された石垣は真田氏時代の遺構と言います。

捨曲輪は木立の中の広場と言ったところで、その中には平八郎石と言われる石がありました。沼田城の奪還に兵をあげた沼田平八郎は真田昌幸の策略により沼田城内で殺害されたと言います。八郎石はその首を置かれたところ、陣を敷いたところが高王山の高王山城と言います。

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