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あの頂を越えて

城址探訪

~日本の城を訪ねて~

あの頂を越えて

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~城址探訪:日本の城を訪ねて~

 安土城

 城郭の構造:山城
 築城の時期:天正4年(1576年)、織田信長
 主な城主:織田氏、明智氏
 所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
 訪問日:2010年5月2日

 

織田信長により建造された山城で、本格的な天守閣を持つ城としてその後建築された近世城郭の手本になった城です。本能寺の変の後は明智勢の攻撃を待たず炎上焼失、その後廃城になりました。

大手門から続く石段の道
石段の脇には羽柴秀吉の館跡など

広い駐車場に車を停め長く続く石段の大手道を登って行きます。石段の左右には信長の家臣団の館跡があります。羽柴秀吉の館跡と伝えられる曲輪もありました。

大手道から振り返る石段
天主台への入り口

長い石段を登ると天主台への入り口です。その先に開けた石積みの中に五層の天守閣があったとか、華麗なその姿は宣教師フロイスの書簡からもうかがえると言います。

天守台の石積み
天守閣跡から眺める西ノ海

天主台の傍らから西の湖が一望できます。現在は干拓が行われていますが、かっての琵琶湖はこの周辺まで水が来ていたのでしょう。

二の丸の一角に信長本廟があります。本能寺の変で亡くなった信長の葬儀は豊臣秀吉により京都の大徳寺で執り行われました。信長本廟は大徳寺での葬儀の後、豊臣秀吉により建てられたものと言います。信長の墓は本能寺や高野山、京都の建勲神社など各地に点在しています。

織田信長の本廟
織田信雄以下4代の墓

二の丸の下に織田信雄以下4代の墓があります。織田信雄は信長の二男、信長の死後三男の信孝と対立、その後天下の実権は豊臣秀吉に移って行ったのは歴史の教科書にも詳しいところです。

江戸時代になって徳川家康から大和宇陀郡、上野甘楽郡など5万石を与えられたと言います。

甘楽は稲含山の登山でも訪れたところです。街の中には家臣の屋敷跡などが点在していた記憶が残っています。

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